認知行動療法を学んだ影響のもう一つは、

自動思考を修正する手法に触れて、

 

思考や認識、仕事や生活の取り組み方、

あるいは、大げさにいえば「生き方」について、

メソッドのようなものを研究している人たちが世の中にいて、

そういう知見をまとめた本が世の中には結構ある

 

ということだった。

 

 

「考える」とか「感じる」とか、誰でも普通に行う当たり前のことで、

誰からか教えてもらうとかいう類のものとは思っていなかったし、

本屋に行っても、そういうジャンルの本棚があることすら気にも止めていなかった。

 

認知療法を学ぶうちに、

世界は自分の認識次第

という感覚を覚えると同時に、

 

自分の外側のことは自分にはどうしようもないけど、

自分の認識を変えれば、世界は変わる

ひょっとすると、もっと生きやすくなる

 

大げさに言えばそんなことを思った。

 

もちろん、この「認識」というものは、なかなか変えられるものではないことは、

いろいろと実践してみればわかることだが、当時は、

 

生きやすくなる認識のお手本が、いろいろと多くの人に研究されていて、

それを学んで自分にインストールすれば、自分の生き方も少しは楽になるのかな

 

と思った。

 

特に、なんでも心配し過ぎるきらいのある自分の性分は、

これから、仕事もだんだんと大変になるだろうし、

人生を長く生きていくには、もう少し胆力のある人間にならなきゃなぁと思えていた。

 

こういうことを知りたくて、のちのちには哲学や心理学、禅や信仰など、自分の思索の旅が始まったのだが、

この当時、まずは本屋で立ち止まったのは、いわゆる「自己啓発」とかいわれる類のコーナーだった。

 

いっとき、この手の本にいろいろとはまった。

手っ取り早く、自分の悩みを解決してくれる知恵が欲しかったんだと思う。

 

この手の本によくある「成功」とか「幸せ」とかいうキーワードには当時それほど興味も感じなかったが、

「心配」とか、「不安」とか、その手のキーワードには惹かれた。

 

この手の本は読者を選ぶというか、パラパラ読んでも「なんじゃこりゃ」という類の内容の本も多かったように思う。

 

願えば叶う的な話や寝ているうちに叶うといった類の内容には、なんだか怠惰な人生観を感じて、好きにはなれなかった。

今思うと、それで救われる人もいるに違いないのだから、そういう方向があってる人もいるんだろうなと思う。

 

しばらく、自分なりに、読んでみて為になったと本について書いてみようと思う。