今日は人が残す念の強さについて思うところがありました。
お昼前頃、胸が急に苦しくなってしまい、でも原因がわからずにいました。「誰だろう?何だろう?」と、心静かに待っていたところ、お隣の人が、「先祖にね…」と話しているのが聞こえました。そして何気に覗いたラインに、女性の遺影と墓石に見えるスタンプが送られてきていました。(こういう風にしてお知らせがきます。(^-^))
御先祖様で、若い女性だなと思いましたが、すぐに思い当たる人もなく、思案していたところ、我が家の仏壇に今日が命日の12歳で亡くなった女の子が祀ってあることが分かりました。どうやら、母の従姉妹で、小さいときいつも一緒に遊んでいたようです。
「あぁ、この子だな」と思った途端に今度は喉がドンドン苦しくなり、締め付けられるように。後で聞いたところ、この女の子はジフテリア(のどの内側が膨れて気道が狭まり、窒息してしまうというもの)で亡くなったそうです。
急いで母に仏壇に線香をあげてもらうと、すっと楽になりました。
どうして気づいてほしかったのでしょう。何を伝えたかったのでしょう。
母と話しているうちに、とても辛くなり、「もっと遊びたかった。会いたかった。」という思いで一杯になり、涙がでました。
その当時、ジフテリアは移ってしまうと思われていて、その女の子は病室で「仲良しの従姉妹に会いたいけど、うつってしまって、彼女が苦しむといけないから…」と、子供だった私の母に最後まで会わずに亡くなったそうです。
50年以上も前の話ですが、その子の「本当はもっと遊びたかった。会いたかった。」という思いが念になり、血の繋がっている私を頼って来たのだと思います。誰かにその思いを気づいてほしかったのでしょうね。
彼女を思いだし、写真を開き、思い出を語って、次は幸せになって欲しいと祈りました。
思いを、念を残さないよう、スッキリとこの世を去れるような生き方をしたいです。
今日はその子が大好きだったキャラメルを買いにいこうと思います。