家族はしっかし毒にも良薬にも苦い薬にもなる。
自分は今更ながら気がついたが
かなり心痛めてきたらしい。
赤といえば青、肉といえば野菜、こっちがいいといえば、いやあっちにしなさい。
今でもこれが変わることはない。
否定されないで受け入れられた記憶がない。
必ず否定。違う。いや、何とか何とか。
イエスマンを求めたわけじゃない。けれど
聞く耳くらいは、あるいは相手の自由を認めようとする基本的な在り方が欲しかった。
最近もワクチンに関して一悶着。
打つとあり得るデメリットを数ヶ月説明した。にも関わらず、誰かがこう言ってたから打たないと。
自分はその誰かより信頼されてないのか。
思えば
親との間の全てのトラウマのベースにこのことが横たわっていた。それにこの歳になってはっきり気がついてしまった。
無駄な時間だった。捧げた自己犠牲や
良かれとおもってしてきた見えないサポート。全て親サイドにはその程度のものだった。
愛に重みがあるなら紙っぺらと金属くらい
違っていた。
自分はもう自由になった方がいいと悟った。物理的には既に自由だが、心の中の問題だ。
信頼ゼロ。長年暮らしてきて一緒に同じもの食べてきて
評価はゼロ。
きついが受け入れるしかない。
長年の心の傷のありかがわかった。
皆さまももし受け入れてもらえない人がまわりにいたら自由になりましょう。
あなたは自由。
いつでも自由。
犠牲にならないでください。
受け入れてくれる人を大事にしましょう。
報われない愛に関わっている時間は人生にはないんです。
皆さまの人生に光が満ちますように。