「日本におけるキリスト教 116 天国行きの救いについて」
まずは、これまでのことを整理します。
聖書が教えるイエス・キリストの来臨時の日は、神の子(クリスチャン)たちは空中に引き上げられて、主イエスと会います。(第一テサロニケ4章15~17節)
その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。(第二テサロニケ2章8節)
不法の人(反キリスト・滅びの子)が「キリスト(メシヤ)」だと宣教していた偽預言者たちは火の池(地獄)に生きたまま投げ込まれました。(黙示録19章20節)
そして、偽預言者に聞き従って、反キリストを崇拝していた人々も最後の審判で火の池(地獄)に投げ込まれました。(黙示録13章8節、14章9~11、20章14節)
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また、その日(来臨時)に、地上に残された主イエス・キリストを「主」と言っていたクリスチャンたちが大勢いましたが、次のように宣告されます。
「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ。主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイの福音書7章21~23節)
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それからイエスさまは、羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
そうして、王は、その右にいる者たちに言います。
『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べ物を与え、わたしが渇いていたときに、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったときに、わたしに宿を貸し、
わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。
おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
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聖書が教えていることをすべて肯定すれば、このようにきちんと整理をすることができます。
イエスさまは、それぞれに、どのような理由で救われて天国行きなのか、どのような理由で地獄に投げ込まれるのかを明確に教えられています。
ちなみに、イエスを主と言っているクリスチャンの中でも、空中に引き上げられる神の子たちと、残されて「わたしから離れて行け!」と宣告される者たちは何が違うのかも次のように明確に教えています。
「この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。
これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。(エペソ人への手紙1章13~14節)」
つまり、救いの福音を聞いて信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。ということです。
そして、その真逆に、不法を行ない、聖霊に逆らっている大勢の者たちが、地上に残されて、「わたしから離れて行け!」と宣告されるのです。
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そして、救いの福音を生前に聞かなかった人たちや、間違ったキリストの教えによって、信じることができなかった人たち、他にも様々な理由があって、イエス・キリストを信じなかった人々も大勢います。
日本では約99%の人々が、イエス・キリストを信じていないと言われています。
イエス・キリストを信じていなければ、約束の聖霊をもって証印を押されていませんし、神の栄光を現わすために生きてはいません。
しかし、「正しい人たち」として、
『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』という理由で、
「正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」と明言されているのです。
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だけど、このイエスさまの教え(聖霊)に逆らっているかのような教えがあります。
それは、次の御言葉の教えを曲解させた教えです。
「そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。
『民の議員、また長老の方々、 今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、 あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。
この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。
この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。
ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」 (使徒言行録 4章8~12節)」
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さて、この使徒言行録 4章8~12節を読めば、使徒ペテロは誰に対して教えているのか。
それはイエス・キリストを来るべきメシヤ(キリスト)と信じずに、偽キリストと決めつけて、殺した者たちへの教えです。
そのような者たちに対して、イエスさまは次のように宣言されました。
「おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。
だから、わたしが預言者、知者、律法学者たちを遣わすと、おまえたちはそのうちのある者を殺し、十字架につけ、またある者を会堂でむち打ち、町から町へと迫害して行くのです。
それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復がおまえたちの上に来るためです。
まことに、おまえたちに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。マタイによる福音書23章33~36節」
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この教えから、現代のイエス・キリストを信じていない人々への教えではないことが明確に理解ができます。
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ところが、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」ということだけを切り取って、
「イエス・キリストを信じない人々は、救われない。つまり、最後の審判で永遠の火に投げ込まれる。」という神学(聖書解釈と福音理解)を成立させているのです。
この神学(聖書解釈と福音理解)だと、現在のイエス・キリストを信じていない人々は皆、地獄行きとなってしまいます。
すると、イエス・キリストを信じていない人々にとって、イエス・キリストは冷酷非道な悪魔のような神だと思わせます。
そんな冷酷非道な悪魔のような神を「心から信じる人」は極めて少ないでしょう。
また、前述の『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』という理由で、
「正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」と明言されたイエスさまの御言葉を否定しています。
イエスさまの御言葉(教え)を否定して、イエスさまを冷酷非道な悪魔のような神と思わせる神学(聖書解釈と福音理解)というものは、それは聖霊に逆らうことになると思われても無理がないでしょう。
次回はその事について、さらに見ていきます。