「日本におけるキリスト教 85 最期の審判について、天の国のことを学んだ弟子たちの福音理解」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 85 最期の審判について、イエスさまから天の国のことを学んだ弟子たちの福音理解」

 

前回の聖書箇所は、イエスさまが繰り返して教えられるほど、クリスチャンとして非常に重要な教えになりますので、これから何度でも取り上げていきます。

 

イエスさまは「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」と言われました。

 

その教えは次の通りです。

 

イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

 

毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。

 

人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもを自分の国から集めさせ、燃え盛る炉の中に投げ込ませるのである。

彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

 

そのとき、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

 

 

その教えをさらに詳細に教えられているのが次の御言葉です。

 

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。

 

そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 羊を右に、山羊を左に置く。

 

そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。

 

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』 すると、正しい人たちが王に答える。

 

それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。

 

お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』

 

『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」

 

 

このイエスさまの「世の終わりの教え」を整理すると次のようになります。

 

世界という畑に、イエスさまが良い種を蒔きます。良い種は御国の子たちで「正しい人たち」と言われています。

 

「正しい人たち」は、世の終わりの最後の審判では、イエスさまの父の国で太陽のように輝きます。

 

「天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」と言われて、永遠の命にあずかるのです。

 

この「正しい人たち」の特徴は、最も小さい者たちの1人が助けを必要としている時に助けてあげることです。

 

 

次は「悪い者の子ら」についてです。

 

世界という畑に、悪魔が毒麦を蒔きます。毒麦は悪い者の子らです。

 

世の終わりの最後の審判では、悪い者(悪魔)の子たちが集められて、永遠の罰を受けて、火で焼かれます。

 

呪われた者どもは、イエスさまから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入るのです。

 

悪い者(悪魔)の子たちの特徴は、最も小さい者たちの1人が助けを必要としている時に見捨てることです。

 

 

そして、イエスさまは次のように断言されて教えられました。

 

「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。

 

蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。

人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。

 

善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。マタイによる福音書12章33~35 」

 

つまり、世界の畑に、イエスさまが良い種を蒔きます。良い種は御国の子たちで「正しい人たち」と言われています。

 

そして、悪魔も毒麦を蒔きます。毒麦は「悪い者(悪魔)の子たち」です。

 

良い種は毒麦になることはあり得ないし、毒麦は良い種になることもあり得ないと教えられているのです。

 

 

なので、聖書に書かれている「悪い者(悪魔)の子たち」が永遠の火に投げ込まれるというイエスさまの教えを忠実に教えているクリスチャンたちが「天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人」となります。

 

ところが、この教えに反逆するかのように「悪い者(悪魔)の子たち」を「イエス・キリストを信じない人たち」にすり替えてしまうと、悪魔の欲望を満たす教えになります。

 

イエスさまは無慈悲で冷酷非道な神さまとなり、すべての人類の敵となるからです。

 

 

なぜなら、「悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たち」ではなく、「イエス・キリストを信じない人たち」が永遠の火に投げ込まれるということは、

 

日本の状況で言えば、「正しい人たち」であるクリスチャンは約1%弱です。

 

そして約99%のイエス・キリストを信じていない人たちは、このままでは永遠の火に投げ込まれる「悪い者(悪魔)の子たち(毒麦)」という状況になるということです。

 

「悪い者(悪魔)の子たち」が約99%という状況は、かなり治安が悪いはずです。

 

蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。

 

悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくるのです。

 

また、最も小さい者たちの1人が助けを必要としている時に見捨てるのです。

 

それから、次のようなことも指摘されています。

 

「あなたは他人には教えながら、自分には教えないのですか。「盗むな」と説きながら、盗むのですか。

「姦淫するな」と言いながら、姦淫を行うのですか。偶像を忌み嫌いながら、神殿を荒らすのですか。

 

あなたは律法を誇りとしながら、律法を破って神を侮っている。ローマ2章21~23」

 

まだまだありますが、この世界に悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たちが約99%という状況の国は、相当めちゃくちゃ激しく超絶に治安が悪い国となるはずです。

 

 

しかし現実の「日本」は、「2023年海外旅行で治安が良い国ベスト20」の中で、次のように紹介されています。

 

「日本は、世界でも非常に治安の良い国として知られています。犯罪率は低く、日本全体で見ても夜間でも安全に外出できる場所が多いです。日本人は一般的に規則を守ることを重視し、他人のプライバシーと安全を尊重します。」

 

 

そして、「イエス・キリストを信じない人たち」を永遠の火に投げ込まれると定義してしまえば、イエス・キリストを信じていない人々は、この世界に悪魔が蒔いた悪い者(悪魔)の子たちとなり、イエスさまの敵になります。

 

聖書の教えでは、そういう人々は、イエスに属さないと言われていて、イエスの言葉を信じることができず、イエスを殺す人たちになるからです。

 

 

また、日本の約1%のクリスチャンを「正しい人たち」とするならば、その正しい人たちが集まる教会は、日本でも数少ない「安全な場所」となるはずです。

 

その「正しい人たち」が集まる安全な場所において、深く傷つけられることは考えられません。

なぜなら、他の場所は「悪い者(悪魔)の子たち」が集まる治安が悪い場所なのですから。

 

しかし現実は違います。

 

キリスト教会で深く傷ついた人々は後を絶たない状況です。

 

特に「牧師」や「牧師婦人」「伝道師」「宣教師」という教師の立場の人々は異常なぐらいプライドが高い人が多いです。

 

また世の中ではセクハラ・パワハラになることを行っている人も少なくありません。

 

世の中ではセクハラやパワハラで罰せられることでも、教会の中では見過ごされることも多々あります。

 

 

特に、自分が教えていることと違うことを教えている人に対する攻撃は半端ではありません。

 

私の投稿記事もそうです。

ただ聖書の御言葉を字義通りに繰り返して教えているだけです。

 

御言葉に私的解釈を付け足すことはありません。

ほとんど聖書箇所をコピーして貼り付けるだけなので楽です。

 

けれど、多くの牧師やクリスチャンたちから「危険人物」だと認識されます。

 

「教会の牧師たちの教えとはまったく違う」という理由です。

 

そして、それを聞いたクリスチャンたちは皆、右へ倣えします。同じく「危険人物」と認識して、離れ去っていくのです。

 

だけど、世の中では、そのような事になりませんし、そのようになる事のほうが「危険」だと認識してくれます。

なので、世の中のほうが、とてもよく理解してくれると実感しています。

 

 

さらに言えば、キリスト教会に深く傷ついて、離れ去った人々は多いです。

 

その事実はSNS上で広がっています。

 

その人々の多くが、切実に言うことは「教会は恐ろしい。二度と行きたくない。世の中のほうがまだ良い」ということです。

 

長くなったので、次回へ続く