日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ⑤ 神の愛と救い | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

ここ最近のブログ記事に対して、数百人というアクセス数があり、コメント欄も賑わっています。

 

それほど、福音派の教会の信徒さんたちは衝撃を受ける内容になっていて、口コミで広がっているようです。

 

今回も、使徒パウロとダビデ、イエスさまの教えから、生前にイエス・キリストを信じなくても救われる希望と平安が与えられる教えを見ていきましょう。

 

 

イエスは弟子たちにこのように教えられました。

 

「もし世があなた方を憎むなら、世はあなた方よりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。

もし人々がわたしを迫害したなら、あなた方をも迫害します。

 

彼らは、わたしの名のゆえに、あなた方に対してそれらの事をみな行ないます。

それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。

 

もし、わたしが来て、彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。

 

しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。

 

わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるからです。

 

もし、わたしが、他のだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。

 

しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。

 

これは『彼らは、理由なしにわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書かれている言葉が成就するためです。

 

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについて証します。

あなた方も証するのです。初めからわたしと一緒にいたからです。ヨハネ15:18~27」

 

 

このイエスさまの教えで気になったことは「彼らは、理由なしにわたしを憎んだ。と彼らの律法に書かれていることが成就するためです。」という点です。

 

これは、彼らの律法となる旧約聖書のダビデの詩編に書かれていることです。

「理由もなくわたしを憎む者は、この頭の髪よりも多く 詩編69:4」

 

 

このダビデの詩編69は預言の書です。他にも書かれていることが成就します。

 

「彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、わたしが渇いた時には酢を飲ませました。詩編69:21」

 

「イエスは聖書が成就するために『わたしは渇く』と言われた。そこで彼らは、酸いぶどう酒を含んだ海綿をヒソプの枝につけて、それをイエスの口元に差し出した。ヨハネ19:18」

 

 

このイエスさまの教えは、わたしを憎み、わたしの父をも憎んだイスラエルの民に対するものです。

 

そして、他のだれも行なったことのないわざを、イスラエルの民の間で行なわれました。

イスラエルの民は、御子イエスも、御父も見たうえで憎んだのです。

 

なので、イエスさまは「弁解の余地はありません」と断言されています。

 

 

その続きとなる教えを「使徒パウロ」は、このように教えています。

 

「すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか、絶対にそんなことはありません。

 

イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。

選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。

 

こう書かれている通りです。

 

『神は、彼らに鈍い心と、見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。』

 

ダビデもこう言います。

『彼らの食卓は、彼らにとって罠となり、網となり、つまずきとなり、報いとなれ、

その目はくらんで見えなくなり、その背はいつまでもかがんでおれ。(詩編69:22、23)』

 

では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか?

絶対にそんな事はありません。

 

かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。

 

もし彼らの捨てられることが世界の和解であるとしたら、彼らの受け入れられることは、死者の中から生き返ることでなくて何でしょう。」

 

 

「兄弟たち。私はあなた方に、ぜひこの奥義を知っていて頂きたい。

 

その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは、異邦人の完成の時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。ローマ11:25~26」

 

「ちょうど、あなた方が、かつては神に不従順であったが、今は彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなた方の受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。

 

なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

 

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。

そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

 

すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。ローマ11:25~36」

 

 

人間の思いでは、御子イエスをも、御父をも憎む者は、その「御子イエスを信じない罪」によって、そのまま死ねば地獄へ行ってしまうというように思います。

 

ですが、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたのです。

 

イスラエル人の一部がかたくなになったのは、彼らの違反によって、異邦人が救われるためでした。

 

イスラエル人の不従順のゆえに、異邦人はあわれみを受けて、こうして、イスラエルはみな救われるのです。

 

まさに、神の知恵と知識と富は、何と底知れず深いことであり、そのさばきは、何と知り尽くしがたいのです。

 

 

まして、日本人の中で、神の御子イエス・キリストをも、御父をも憎んでいる人はごく一部でしょう。

 

その一部の人たちの多くは「憎む理由なし」に憎んでいるのではありません。

 

聖書の教えとは異なる「キリスト教会」において、深く傷つき、苦しみ続けて、イエス・キリストを憎むようになっています。

 

その方々のイエス・キリストに対する憎しみは当然に赦されて、神はあわれんでおられます。

 

御子イエス・キリストを通して、行われたわざが行われても、御子イエス・キリストをも憎み、イスラエルの神であられる御父をも憎んだイスラエルの民に対しても、それは救いが異邦人に及ぶためであり、その後で「イスラエルはみな救われる」と書かれています。

 

 

そして、御子イエス・キリストが来られて話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。

 

御子イエス・キリストが来られて、他のだれも行なったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。と明確に教えられているのです。

 

日本ではどうでしょうか?

 

神の御心にかなっている「福音」を聞いていなければ、彼らに「罪」はなかったのです。

 

現在では御子イエス・キリストは天におられる御父のところにおられて、助け主「御霊=聖霊」を遣わしておられます。

 

クリスチャンを通して、御霊=聖霊に出逢うことができますし、個人的にパウロのように出逢う人たちもいるでしょう。

 

もし出逢うことなく、神に不従順のうちに閉じ込められたまま亡くなったとしても、あわれみを受けると聖書は明確に教えているので、愛・喜び・平安があります。

 

神につまずいたのは倒れるためでしょうか。

絶対にそんなことはありません!救いが及ぶためです!と書かれている通りです。

 

 

現在、旧統一教会問題で、2世信者の方たちが受けられた壮絶な痛みと苦しみが発信されていますが、この旧統一教会も「キリスト教」です。

 

旧名称は「世界キリスト教統一神霊協会」です。

 

 

旧統一教会もそうなのですが、隣人に対して「信じなければ地獄に行く」「地獄に落ちる」と教える宗教は、聖書の教えとは違う宗教です。

 

そのことが、前々回からの使徒ペテロ、使徒ヨハネ、使徒パウロの教えの記事を読んでもらえればわかると思います。

 

 

前述に書いているヨハネ15:18~27の26~27の教えが重要です。

 

わたしが父の元から遣わす助け主「御霊=聖霊」が、御子イエス・キリストについて証します。

「わたしは助け主の御霊をあなた方に遣わします。

 

その方が来ると、わたしを信じない罪について、わたしが父の元に行く義について、この世を支配するサタンがさばかれたことを認めさせます。ヨハネ16:5~11」

 

使徒パウロはこのように教えます。

 

「聖霊によるのでなければ、誰も『イエスは主です。』と言うことは出来ません。第一コリント12:3」

 

「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。

このようなものを禁ずる律法はありません。

 

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまな情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。ガラテヤ5:22

24」

 

 

「キリスト教」といっても、いろいろあります。

 

サタンでさえ、光の御使いに変装するのです。サタンの手下どもが義のしもべに変装して、キリスト教の教会を建てていることもあるでしょう。

 

また、毒麦として、教会の中に入り込んでいることもあると聖書は教えています。

 

そして、教会で、父である悪魔を喜ばそうとして、さまざまな情欲や欲望を満たそうとします。

 

より多くの献金や寄付金を集めたり、だましたり、暴言をはいたり、偽証したり、裏切ったり、体を汚したりします。

 

恐怖・不安・憤り・怒り・絶望・憎しみ・悲しみ・苦しみ・痛みが渦巻いています。

特に「自制」がききません。

 

 

神の教会は、御霊の実で満ちているところでしょう。

「愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制」

御霊に導かれて進んでいます

 

そのような教会が、日本にどれだけあるのでしょう