日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ③ キリスト教はどうなのか? | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本で、宗教に対する恐怖が広がっていることについて ③ キリスト教はどうなのか?」

 

今回は使徒ヨハネが教えていることを見ていきます。

 

「もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。

神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。ヨハネ第一2:4」

 

「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。ヨハネ第一2:9」

 

「今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。

彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。ヨハネ第一2:18,19」

 

「罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。ヨハネ第一3:8」

 

「そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。ヨハネ第一3:10」

 

 

使徒ヨハネの教えは、「神の子どもたち」と「悪魔の子どもたち」とを区別して、見分けることの重要性を教えています。

 

悪魔の子どもたちは、クリスチャンたちの中にいて、神を知っていると言いながら、神の命令を守らない偽り者であり、

光の中にいると言いながら、兄弟を憎み、やみの中にいて、罪のうちを歩んでいます。

 

そして、クリスチャンたちの中から出て行きます。

 

 

今度は、使徒ヨハネの教えと主イエス・キリストの教えが一致するかを見ていきます。

 

「イエスがこれらの事を話しておられると、多くの者がイエスを信じた。

 

そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。『もし、あなた方が、わたしの言葉にとどまるなら、あなた方は本当にわたしの弟子です。 〈中略〉

 

あなた方は、あなた方の父である悪魔から出た者であって、あなた方の父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。

悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。ヨハネ8:30~44」

 

イエスさまも、多くの者がイエスを信じたが、その信じた者たちに「あなた方は、悪魔から出た者」と言い放っておられます。

 

 

その教えに関連して、使徒パウロも同じように教えています。

 

「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。

 

しかし、驚くには及びません。サタンさえ、光の御使いに変装するのです。

 

ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。

彼らの最後はその仕業にふさわしいものとなります。第二コリント11:13~15」

 

ちなみに、反キリスト(アンチ・キリスト)も「反キリスト、アンチ・キリスト、悪魔、サタン、ルシファー」という名前で登場しません。

 

「イエス・キリスト」という名前で登場します。

 

「その時、そら、キリストがここにいる。とか、そこにいる。とか言う者があっても信じてはいけません。マタイ24:23」

 

 

そして、イエスさまは、「地獄行き」について教えていますが、すべて、イエスを信じた者たちや、イエスにつき従って来た群衆に教えている理由がわかります。

 

使徒やクリスチャンたちの中にいる「悪魔から出た者たち」がいるためです。

使徒の中にも悪魔がいました。

 

「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか、しかし、その内の一人は悪魔です。ヨハネ6:70」

 

クリスチャンの中ではこう教えられています。

 

「天の御国は、こういう人にたとえることが出来ます。

ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。

ところが、人々が眠っている間に、彼の敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。

 

麦が芽生え、やがて実った時、毒麦も現れた。

収穫の時期になったら、まず毒麦を集め、焼くために束にしなさい。

麦のほうは、集めて、私の倉に納めなさい。マタイ13:24~30」

 

 

それゆえ、イエスさまはクリスチャンたちの中にいる「悪魔から出た者(毒麦)」たちに、地獄行きについて教えなければならなかったことがわかります。

 

「大勢の群衆がイエスにつき従った。この群衆を見て、イエスは山に登り、弟子たちも御元に来て教えられたことです。

兄弟に向かって「バカ者」と言う者は燃えるゲヘナ(火の池)に投げ込まれます。

 

情欲を抱いて女を見る者は、もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだ全体ゲヘナ(火の池)に投げ込まれるよりは、よいからです。マタイ4:25~5:30」

 

イエスさまは、わざわざ山の上まで登られました。

その場で教えられたなら、イエスさまを信じていない人たちも聞くことが出来たでしょう。

 

山に登られたら、そこまでして信じていないイエスの話など聞きたいとは思いません。

本当にイエスを信じてつき従いたい人でないと、山にまで登って行かないでしょう。

 

 

それから、カぺナウムに着いて、イエスが弟子たちと家に入ってから、地獄行きについてこう教えられました。

 

一人の子どもを連れて来て言われました。

この小さい者たちの一人にでもつまずきを与えるような者は、

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。マルコ9:33~44」

 

このように、イエスさまは12弟子に地獄へ行くことについて教えられたのです。

 

 

正確には、良い麦の中に毒麦がいて、その毒麦に対して教えられたのでしょう。

 

イエスさまは、悪魔から出た者(毒麦)が誰かを知っておられましたが、名指しで教えることはされませんでした。

例えば、世の中の学校でもいえると思います。

 

クラスの中には優等生もいれば、不良とレッテルをはられた子もいます。

不良の子は将来、悪い道に進むことが懸念されますが、その子たちを名指しで「悪い道に進むこと」についての教えをすれば傷つくでしょう。

 

また、現在は優等生だからといって、将来は良い道に進むとは限りません。

有名大学でも不祥事は少なくありません。

 

ですから、全員に悪い道に進むことについて教えることが賢明です。

 

 

話を戻します。イエスさまはその後で、来臨の時、羊と山羊を左右に分けて、左にいる者たち(つまり、悪魔から出た者・毒麦)にこう教えます。

 

「のろわれた者ども、わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。

お前たちはわたしが空腹な時に食べさせず、渇いている時に飲ませず、裸であった時に着せず、病気や牢にいる時に訪ねなかった。マタイ25:31~43」

 

 

使徒ヨハネは、クリスチャンたちの中で、「悪魔の子ども」と「神の子ども」との区別がはっきりしていると教えました。

 

そのように教えられると、教会の中に蒔かれた悪魔から出た者(毒麦)、義のしもべに変装しているサタンの手下どもは、窮地に追い込まれます。

 

なかなか悪い働きが起こしづらく、居心地も最悪です。

現在いる教会から出て行きたいと思うでしょう。

 

 

しかし、プロテスタント福音派の教会では、その教えを否定するかの如く、新しい教理・神学を作り上げました。

 

「神を信じたクリスチャン」と「神を信じていない未信者」とで区別したのです。

 

そして、「神を信じたクリスチャン」は永遠の命を与えられて天国へ行く。

「神を信じていない未信者」は永遠の滅びで地獄へ行く。

 

イエス様が地獄について教えられているのは、神を信じていない未信者についてというように教えます。

 

 

そう教えられると、教会の中に蒔かれた悪魔から出た者(毒麦)、義のしもべに変装したサタンの手下たちは、大喜びです。

 

その者たちも「クリスチャン」であり「永遠の命を与えられた者」として認められるのですから。

 

しかも「救いは決して取り消されることはない」と断言して教える牧師も増えて来ました。

 

すると、大胆に、陰で大いに、教会の中で、次々と欲望の行ないを成し遂げられるのです。

 

ですから、キリスト教会の中で、牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダーを筆頭に欲望の罪を成し遂げる事件が後を絶たないことも当然と言えるかも知れません。

 

 

とはいえ、クリスチャンでも罪は犯します。

使徒ヨハネはこのように教えます。

 

「もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにはありません。

 

もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。ヨハネ第一1:8~9」

 

旧約聖書の英雄ダビデも王になった後で、大きな罪を犯しました。

 

忠実な部下ウリヤの奥さんの入浴を覗き見して、欲望を抱き、呼び寄せて抱きました。

妊娠させると、発覚する前に旦那を殺したのです。

 

主は預言者ナタンを遣わして、こう言われました。

「なぜ、主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。

あなたはウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。

あなたの家に災いを起こす」

 

その後、ダビデはその大きな罪を心の底から悔い改めましたが、地獄のような災いが次々に起きて、嘆き苦しみました。

 

そして、ソロモンがダビデに代わって王となり、全イスラエルはソロモン王に従いました。

 

その罪の刈り取りである地獄のような災いが終わった後で、ダビデは幸せな晩年を過ごしましたが、ダビデの世話をしていたイスラエルで最も美しい娘アビシャグを抱くことはありませんでした。

 

 

聖書には「多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別に厳しいさばきを受けるのです。ヤコブ3:1」と教えられています。

 

ダビデのように、神の子どもが罪を犯せば、格別に厳しいさばきを受けるのです。

 

人を傷つける罪を犯せば、教師生命は事実上終わるという覚悟が必要です。

 

そのような神の命令を守る者がクリスチャンであり、

その神の命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。

 

人を傷つける罪を平然と行っている者たちは「悪魔から出た者(毒麦)」なのです。

 

 

現在、日本では旧統一教会問題で、宗教に対する恐怖が広がっていますが、

使徒ヨハネを通して聖書が教えていることを見てみれば、キリスト教は危険ではないことがわかります。

 

そして、聖書の教えではなく、聖書の教えを曲解させて、新しい教えを作り上げてしまえば非常に危険だということが言えると思います。

 

次は使徒パウロの教えを見てみます。