キリスト教会の聖書の教えとアニメ「リコリス・リコイル」の教え | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

私は2018年12月末まで福音派の教会に所属していました。その2018年に子供たちの間で大流行していたのがゲーム「荒野行動」です。

 

教会に来ていた子供も、暇さえあればスマホのゲームに熱中していたので、覗き込むと「荒野行動」をしていました。

 

荒野行動というのは、100人いる中で、最後の一人になるまで殺しあうバトルロワイアルです。とにかく相手(敵)を見つけると殺して殺して殺しまくります。

 

教会のその子は小学4年生(10歳)でした。その残虐アプリゲーム「荒野行動」は、学校で流行っているそうです。

 

また、二年前に空前のブームとなったアニメ「鬼滅の刃」も鬼殺隊が鬼を殺して殺しまくる残虐シーンについても、子供たちに悪影響が出るのではないか?などと話題になりました。

 

他にもゲームやアニメなどでは、敵を殺して殺しまくるということにあふれています。

なので、子供たちの多くは、敵を殺すということや残虐シーンに慣れているでしょう。

 

 

そして、今年の夏に放送されたアニメ「リコリス・リコイル」は、犯罪を未然に防ぐために、犯罪者を極秘裏に抹殺・消去する極秘の治安維持組織「DA]に所属する少女たちが主人公です。

 

その少女たちは孤児で、DAが暗殺者として育成した暗殺者「リコリス」なので、1話の冒頭から犯罪者を消して(殺して)いきます。

 

優秀なセカンドリコリスの「井ノ上たきな」16歳は、人質となった仲間を救うために、合理的な判断で、マシンガンで銃の密売犯全員を撃ち殺します。

 

しかしながら、喫茶「リコリコ」に転属を命じられ、その喫茶店で働いている歴代最強のファーストリコリスである「錦木千束(ちさと)」17歳から学ぶこととなります。

 

 

この千束は、「命大事に」を信条としており、絶対に敵を殺さない。敵が負傷していれば手当をしてあげました。

 

たきなは、びっくり仰天します。「命大事にって、敵もですか?」と質問するのでした。

 

千束は当然とばかり、自分やたきなたちを殺そうとする犯罪者がケガをしていると、暖かい声をかけながら応急処置をして、命を救おうとするのです。

 

それを見たたきなは、信じられない、そんな事をしていれば危険だ。と思うのでした。

 

ところが、手当をしてもらった敵は、その千束の愛の行ないに触れて、味方と変わり「そっちへ行けば危険だ。待ち伏せされている」と教えるのでした。

 

 

この千束の言動と行動は、いくつもの聖書の御言葉が思い起こされました。

 

「あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい」

 

「ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやりなさい。」

 

「悪をもって悪に報いず、善をもって悪に立ち向かいなさい」

 

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのかわからないからです。」

 

 

また、千束は自分を殺しにかかる最強の敵と戦っている最中に、飲み物を飲み、最強の敵ものどが渇いていると思って、「これ、めっちゃうまい。ちょっと飲んでみ」と、その飲みさしのジュースを渡して、飲ませるのでした。

 

最強の敵はそのジュースを飲むと「ちょっと甘すぎねえか」と文句を言うのでした。

 

この時、千束ファンたちは「てめえ、ふざけるな!うらやましいぃぃぃぃぃぃぃ!(進撃の巨人のジャンが、ミカサに優しくしてもらったアレンが迷惑そうなことを言った時によく言っているセリフ)」と絶叫したことでしょう。

 

聖書でも「もし、あなたの敵が渇いたなら、飲ませなさい。」と教えています。

 

 

そして、最後、千束が絶体絶命の時に、たきなが帰還命令に背いて、千束を救いに行きます。

 

そこは爆破されるので、その友のために命を捨てる覚悟が必要でした。

 

聖書に「人がその友のために命を捨てる。これよりも大いなる愛はなし」と教えています。

 

 

このように、「リコリス・リコイル」を見ていたら、聖書の素晴らしい教えの数々が思い起こされたのです。

 

そして、最近、ロシアのウクライナ侵攻で、プーチン大統領を憎み、

報道ニュースなどで犯罪者たちを憎み、

職場で腹立たしい人たちを憎み、という自分自身が恥ずかしくなりました。

そして悔い改めに導かれたのです。

 

 

「リコリス・リコイル」の千束は、聖書の教えを知りませんし、クリスチャンではありません。

 

ですが、聖書には、人間は神様に似せられて造られた存在です。そして、神は愛です。と教えています。

 

カトリック教会のマザーテレサは「人間には善良な資質があります。」ということを信条にされていました。

 

神に似せられて造られた人間は、神の愛の教えを生まれながらに持っているのです。

 

 

千束は、孤児であり、千束を「殺しの天才」として育てられるように命じられた育ての親「ミカ」が、自由に育てていたことで、「敵もすべての人の命は大事に」という信条で、人助けをしていました。

 

クリスチャンであるとか、聖書に書いてあるからとか、関係はないのです。

 

「すべての人の命は大事にすること」このように思っている人は多いことが、千束に惹かれる人が多いことからもわかります。

 

千束の育ての親「ミカ」が「狂わされたな、お前も、あの娘に」と言われるシーンがあるのですが、

敵は殺してもいいだろうと思っている人が、敵の命も大事にしようという思考に変えられるのです。

 

そして、自分の思っている信条が、聖書に書いてあったということなのです。

 

 

教会の聖日礼拝で、牧師から「聖書にこう書いてあるから、その通りに御言葉を行ないましょう」と教えられても、

教えている牧師が教えていることと、やっていることが違うじゃないか。と思うことがいくつもありました。

 

牧師の息子や娘はそれを痛感していました。

 

「教会のメッセージと、家で言っていることと違うやないか!」と思うことがたくさんあると言っていました。

 

ですから、福音派の教会では、聖書の教えがほとんど心に響くことはありませんでした。

 

しかし、アニメ「リコリス・リコイル」を見て、いくつもの聖書の教えが思い起こされて、心に響いて来たのです。

そして、たきなのように学ばされました。

 

きっと、子供たちも、教会学校で学ぶよりも、「リコリス・リコイル」を見せてから、聖書の御言葉を教えるほうが、心に響いてくることがあるでしょう。

 

 

無教会で、万人救済希望を教えてくださった「宮田光雄」先生は、その方法を行なっています。

 

宮田先生は自宅の傍にやや広い集会室を建てて、独自でそこに集って来る人たちに教え始めました。約30年間で、約2000人が集って来たのです。

 

宮田先生は、こう教えます。

 

「私たちの集会の特徴は、聖書研究だけではなく、読書会も、いわば車の両輪のように平行させて来たことでしょう。

たんに聖書の注解書にのみ頼る議論では活発な話し合いにはなり難いのです。

 

文学書や伝記、体験記など、さらに児童文学まで活用することは、信仰を具体的にとらえる上できわめて有効だったと思います。」

 

 

私は、宮田先生の教え方に大いに共鳴しています。

 

子供たちにアニメ・漫画・映画・本を見せたり、音楽を聞かせて、聖書と平行して教えると非常に有効です。

 

「聖書にこう書いてある」では、教える人間が御言葉を守り実行していないと、心に響くことは少ないからです。

 

映画「パッション」を見て、初めてイエスさまの十字架が明確に理解できたという声をよく聞きました。

 

私もその一人です。何人もの牧師や伝道師、宣教師、信徒リーダーたちから、イエスさまの十字架について教えられましたが、毎回ぼやけたものでした。

 

映画パッションを見て、初めて理解ができたのでした。

 

 

 

 

アニメ「リコリス・リコイル」を見せて、聖書と平行して教えることにより、いくつもの素晴らしい聖書の教えが心に響いてくることもあるでしょう。

 

たきなは、初め「銃」を差し出したが、千束は「花」を差し出しました。

 

そして、たきなも自然に「花」を差し出すような善良な資質へと変えられたのです。

 

「私たちがまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」

 

神を信じたからではなく、まだ罪人であった時なのです。

 

聖書の使徒たちの時代には聖書はまだありませんでした。

聖書に書いてあるからではなく、聖書の教えを行なっている人たちによって、神に似せられた人間が生まれながら持っている神の愛の教えに目覚めることができるという福音ですね。

 

人間は神さまに、神の息で造られた、神に似せられて造られた存在ということなので、クリスチャンであるとかは関係なく、神の愛の教えを生まれながらに持っている。善良な資質があるはずですから。

 

 

 

次に、約29万の視聴者数で、リコリス・リコイルのファンが制作したYouTubeです。

これは、最後の方は日本語訳が変えられています。

しかし、この事によって、キリスト教に好感を持った人たちがいます。