旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の献金問題について | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

最近、安部元総理銃撃事件から旧統一教会の献金問題に対する報道が過熱しています。その中で自身の体験を語ってくれる人たちがいて、実情を知ることができて助かります。

 

家族が旧統一教会の信者で、教会に多額の献金をしていたのが原因で、家族が貧困状況だった嘉陽田さんはこう発言しました。「教会は強制なんてしていないんです。信者は望んで献金しているんです。だから家庭が崩壊するんです。」

 

この嘉陽田さんの発言について、多くの人たちが着目していて、現時点で3662人の「いいね」があり、次のようなコメントがありました。

 

「献金しないと死んでから地獄へ行くと思い込まされている時点で、教会のコンプライアンスも何もない」

「強制されてなくても、望んで献金するように洗脳されるってところが本当に恐ろしい」

このコメントには現時点で578人の「いいね!」があります。

 

 

この嘉陽田さんの話を聞いて、福音派のキリスト教会と非常によく似ていると思いました。

 

福音派のキリスト教会では、日本最大と言われている「大和カルバリーチャペル」の大川従道牧師の著書「永遠と復活」には次のように書かれています。

 

「そして、罪が赦される唯一の方法が『イエス・キリスト』を地上にいる間に信じることで、それなくして死んで行った人たちは天国に行くことはできない。

 

つまり地獄へ行くのである。と教えてきました。

 

私が幼かった頃からすでに、ほとんど例外なく、教会(福音派)ではそのように教えられていたようですから、100年以上そのような考えと教え(神学)の中で教会(福音派)は営まれてきたのだと思います。」

 

 

大川牧師が言われる通りに、福音派の神学の教えは、「生前にイエス・キリストを信じると永遠の命が与えられて天国に行くことができる。

 

しかし、生前にイエス・キリストを信じることなく死んでしまえば、永遠の滅びです。ゲヘナ(火の池)に投げ込まれて、永遠に炎の中でもがき苦しむのです。」

 

「だから、日本の約99%のイエス・キリストを信じていない人たちを地獄行きから救うために福音を伝え続けましょう!」と熱心に伝道するのです。

 

 

それゆえに多額の献金も望んで行なう信者も多いのです。

 

働いて得た収入を自分のために使うよりは、教会のために捧げる。地獄へ行ってしまう大勢の人々が救われるために、教会を大きくすることが生きた金になり、イエス・キリストも喜ばれているという思考です。

 

また、伝道集会も金がかかるので、そのために献金することも、滅びに向かっている人々を救うための生きた金になるという考えです。

 

それから、牧師と牧師婦人も見た目が大切です。良い服を着て、良い車に乗って、牧師の子供は一流の大学に行っているような。

 

そうすれば新しく教会に来た人たちが、この教会と牧師は神さまに祝福されていることが伝わり、安心されるという考えです。

 

そのため、真面目で信仰心のあつい信者は頑張って献金をして、平均並みか平均以下の生活基準になりさがるという犠牲を背負っています。それもイエス・キリストの十字架を負っているという信仰で喜んでいます。

 

 

教会では、献金すれば祝福されるということも教えられますが、祝福されたと証する信者はごく一部です。

多くの信者は献金すれば、それだけ収入が減ります。

 

20代の独身男性で真面目な信者の場合、給料が28万円だとすれば、十一献金で2万8千円、毎週水曜と日曜に教会に集まるごとに献金を徴収されるので、それで1~数万円。さらに感謝献金やボーナス献金などの献金で数万円。月に6万円以上は献金していることになります。

 

厚生年金、健康保険、所得税や住民税など税金で引かれて、手取りは21万6057円です。そこから教会への献金額6~8万円を引けば、残りは約15~13万になります。

 

そして、家賃、光熱費、食費などを差し引けば、いくらも残りません。

 

教会のリーダー格になれば、もっと献金しているために、自分の手取りは「低収入」となり、貧困生活を余儀なくされます。

家賃はごく安のなんとか荘に住み、風呂もなく、毎週礼拝時は同じ服を着ていました。

 

貧困生活を信仰によって喜んでいます。

 

 

しかしながら、献金をあまりしない信者が多い福音派の教会もあります。

 

そういう教会は財政が苦しく「信仰・希望・愛では解決しない。同情するなら金をくれ」という状況になることがあります。

献金が少ないために、教会が閉鎖することも少なくありません。

 

自分自身の体験でも、以前に通っていた福音派の教会が4つ閉鎖していて、2つは小さい場所へ移転しています。

 

いずれも財政難で、教会が存続できなかったと聞きました。

 

牧師が金に困り、孫の「子供手当10万円」を取りに来たと聞いた時、「牧師に渡せば死に金になるから、絶対に子供のために残すべき」とアドバイスしたこともあります。

 

 

教会の献金問題で傷つき、教会を出て行った人たちは多いです。

 

聖書には教会の献金問題で、信者が傷ついて教会を出て行ったという話は出てきません。

 

教会や教会の指導する立場の使徒たちが裕福になり、信者は犠牲となることもありません。

 

12弟子のイスカリオテのユダが皆の財布を預かっていて、その財布の金を盗んでいたことはあります。

 

 

聖書には「あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない。マタイ6:24」と教えられています。

 

この「富」と訳されている原語はアラム語の「マモン」で、富とか財産を偶像のように表現した言葉だそうです。

 

なので、「財産(マモン)=金」がなければ「教会」が存続できずに閉鎖してしまうということは、聖書の教えに反することだと思われます。

 

それゆえ、「献金」のことで、信者や信者の子供たちが深く傷つくことは、その教会は「カルト」や「異端」だと思われても当然でしょう。

 

 

ですが、嘉陽田さんが「(そのような教会の信者は、)自分の考えを持って、自分の意志でやっているので、そう簡単に覆すことはできない。

 

私たち二世は、どこに、誰に頼ればいいかわからない。」と言われている通り、深刻な問題だと思いました。

 

自分自身は「献金」の義務がない「無教会キリスト教」と出逢って、平安が与えられ、将来と希望が与えられました。

 

神さまはそれぞれの人に、平安と将来と希望を与えたいと願われています。

どうか、すべての人に平安と将来と希望が与えられますように。