福音派と無教会キリスト教の決定的な違い ⑭ 献金について | ルーク4のブログ

ルーク4のブログ

神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「福音派と無教会の決定的な違い ⑭ 献金について」

 

福音派の教会では、教会に集う度に最後に「献金」というものがありました。

また、給料の十分の一を献金する「十分の一献金」もありました。

「ボーナス献金」や「感謝献金」などもあります。

 

献金をすれば神から祝福されるという信仰を教えられるので、積極的に献金を捧げる信徒がほとんどです。

 

その根拠となる主な御言葉は次の通りです。

 

「与えなさい。そうすれば自分も与えられます。ルカ6:38」

 

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。自分の宝は、天にたくわえなさい。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。マタイ6:19~21」

 

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

明日のための心配は無用です。マタイ6:33~34」

 

 

これらの御言葉によって、自分が宝のようにしている「お金」を神の教会に捧げることによって、天に宝をたくわえることになるように思えます。

 

そして神の国と義とは、神の教会が繁栄することです。今よりも教会が大きくなれば、もっと多くの人たちが教会に来て礼拝することが可能になります。

 

牧師も牧会に専念してほしいですし、教会の働き人に給料が払えます。それから、伝道師に来てもらえます。

 

そして、神の国と義とを第一に求める者は、それらに増し加えられて、すべてを与えられるのです。

それは、与えれば、自分が与えられると書いてある通りです。

 

福音派の教会にいた頃は、このような信仰で、毎回きちんと献金と十分の一献金を捧げていました。

 

 

教会に一人か二人は、その御言葉がよく実現しています。と、喜びの証をする素晴らしい信仰のクリスチャンがいました。

 

また数人は、一度か二度は献金をしたら、きちんと祝福されたという経験を持っています。

 

 

しかしながら、いつも疑問に思ったことは、教会の過半数の人は献金を忠実にしていても祝福されていないという事です。

 

祝福されることはなく、献金した分において生活費が不足してしまい、いつもお金の問題で悩んでいたり、苦しんでいるクリスチャンも少なくありません。

 

教会で「献金」をきちんと捧げているのだけど、あるクリスチャンは祝福されて、あるクリスチャンは不足して苦しめられる。

 

この「えこひいき」は何だろう?といつも疑問に思っていました。

 

心の中で「自分は信仰が不足しているからだ」と落ち込んでいるクリスチャンは多いです。

 

「えこひいき」について、聖書はこう教えています。

「本当にあなた方が聖書に従って『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という最高の律法を守るなら、あなた方の行ないは立派です。

 

しかし、もし人をえこひいきするなら、あなた方は罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。ヤコブ2:7~9」

 

それゆえ、神がえこひいきしていると思わせる「教会の献金制度」に大きな疑問も持っていたのです。

 

 

そして、もう一つの献金に対する大きな疑問が、夫婦の問題です。

 

教会に多いのは、妻が先にクリスチャンになって、夫はまだノンクリスチャン(未信者)のケースです。

 

その場合、個人的に知っている範囲では、妻は夫に内緒で献金しています。

 

内緒にする理由は、献金の金額が多いからです。正直に言えば夫が驚いたり反対したりするからです。

 

夫婦にとって、お金を貯めておくことは最も重要なことの一つです。

 

子どもがいれば、子どもが大きくなるにつれ、それなりのお金が必要です。

子どもがいなくても、まとまったお金が必要になる時が来ます。

 

遺産相続や宝くじが当たることなどはないので、真面目に働いて、コツコツと貯めていくしかないのです。

 

それを教会に献金していけば、貯まるはずがありません。

 

なので、ノンクリスチャン(未信者)の夫が、教会に対して不信感をもってしまうよりは、内緒でより多くの献金をしたほうが祝福されるという信仰があるようです。

 

それで、現実に問題はなく、捧げただけ祝福されていると言われます。

 

しかし、個人的に疑問に思うのは、ノンクリスチャン(未信者)の夫の立場で考えれば、妻がクリスチャンになったことで、内緒にしている事がなくなる。

 

イエスさまを信じれば、偽りを捨てるようになる。ということを望まれていると思います。

 

聖書にもこう教えています。

「真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着けるべきことでした。

 

ですから、あなた方は偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。エペソ4:25」

 

つまり、ノンクリスチャン(未信者)の夫の立場から考えれば、献金に対する御言葉よりも、このエペソ4:25の教えのほうが大切ではないか。と思うのです。

 

 

前回の政治についてでも、ノンクリスチャン(未信者)の立場から言えば、カジノ誘致に全力を注いでいる政党(維新の会)の議員にクリスチャンは入らないほうがいいと考えるのと同じです。

 

 

これは考え方の相違といいますか、どちらが自分にとって合っているのか、将来に希望と平安があるのか、

どちらのほうに、聖霊の喜びがあるのかということだと思います。

 

ですから、福音派の教会が合っているクリスチャンもいれば、合わないクリスチャンもいるという事です。

 

 

無教会の場合、献金はありません。

 

無教会の大学教授の宮田光雄先生は、自宅の離れに集会所を自費で作り、そこで無料でキリスト教の教えを聖書から教えています。

約2000人が、そこでキリスト教の福音を知りました。

 

内村鑑三先生や矢内原忠雄先生は、「今井館」という公民館を借りて、そこで無教会キリスト教の集会が行われました。

 

イエスさまが12弟子を選び、福音宣教に出て行かせる時に

「あなた方は、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。マタイ10:8」を実践されています。

 

そこでは、献金に悩むことはないですし、献金によって祝福されたとか、されないとか、信仰が不足しているとか、神はえこひいきしているのではないかと悩み苦しむとか、一切ありません。

 

有志で、維持費をまかなっています。

自分にとっては、それが合っています。

 

また、「献金」についても、カトリックや正教会、聖公会なども、福音派とは違うようです。

 

 

福音派の教会にいた頃は、福音派の教えがすべてと思っていたので、前述した大きな疑問をもつ者は、本当のクリスチャンではないのかな?と苦しんでいました。

 

しかし、他のキリスト教は福音派と違うことを知って、平安と希望が与えられたのです。

 

これからの時代、特に日本では、福音派の教会の特徴と、他のキリスト教の特徴の違いを知ることが重要になっていると思い、こうして違いを伝えている次第です。