福音派と無教会の決定的な違い ⑧ イエス・キリストを信じない日本人とイスラエルのユダヤ人 | ルーク4のブログ

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「福音派と無教会の決定的な違い ⑧ イエス・キリストを信じない日本人とイスラエルのユダヤ人」

 

福音派の教会の後藤牧人牧師は「受洗者の中から多量の脱落者を出してきているのが、日本の教会である。」と、日本の教会の現状について危機感を持たれています。

 

後藤牧師の言われる通り、自分自身も福音派の教会からの脱落者です。

弟も、福音派の教会で仲良くなった何十人の人たちも、高校の同級生2名も脱落者です。

 

内村鑑三先生も矢内原忠雄先生も、中村哲先生もサザエさんの著者の長谷川町子先生も、福音派の教会からの脱落者です。

 

福音派の教会の教えで、まったく理解することが出来ないのは「イエス・キリストを生前に信じない人は救われない。」という教えです。

 

そのことについて、色々と聖書からみていっています。

 

 

今回の箇所は、ナザレでの宣教です。

 

「イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。

会堂で教え始められた時、それを聞いた多くの人々は驚いて言った。

 

『この人は、こういう事をどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行われるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。

 

この人は大工ではありませんか。

 

マリヤの子でヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。』

こうして、彼らはイエスにつまずいた。」マルコ6:1~3

 

 

「イエスが宣教を始められた時はおよそ30歳であった。ルカ3:23」

 

つまり、イエスさまは両親と一緒に2歳ぐらいの時にエジプトから郷里となるナザレに来られて、在住されました。

 

父親ヨセフは大工でしたが早くに死んだようです。

イエスはヨセフの跡を継ぎ、30歳まで大工として働いておられたのです。

 

イエスさまが在住されていたナザレの人たちは「この人は大工で、優れた知恵や力あるわざは持ってはいない」と評価していたのです。

 

 

しかしながら、イエスの両親は過越祭には、毎年エルサレムへ旅していました。

そこに同行した12歳の少年イエスは、神殿の境内で学者たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしていて、聞いている皆は少年イエスの賢い受け答えに驚いているのです。(ルカ2:41~47)

 

つまり、12歳の時にはすでに、皆が驚く知恵と知識を持っておられました。

ですが、郷里のナザレでは、そのことを隠して生活しておられたのです。

 

 

そして、30歳になったころから福音宣教を始められて、知恵と力ある御業によって、大勢のユダヤ人たちがイエスを信じたのです。

 

しかし、その福音宣教が始まる前に死んで行った人たちは、イエス・キリストを信じることは出来ません。

 

当時、16歳までの死亡率は約60%と推測されるくらい、子どもの死亡率は非常に高かったのです。

また毎年、多くの人たちが病気や事故、戦争などで亡くなっています。

 

あと一日前から福音宣教が始まっていれば、イエス・キリストを信じることが出来たのに。いや二日前から、一週間前から、いや数年前から、

 

10年前の、イエスさまが20歳の時から福音宣教が始まっていれば、私の愛する子どもたちは、愛する人たちは、イエスさまを信じて永遠のいのちを与えられた可能性があったのに。

 

特に郷里のナザレでは、イエスさまが身近に住んでおられながら、愛する人や子供たちが死んで、悲しんでいる遺族のことを知りながら、イエスさまは力ある御業を起こされなかったのです。

 

 

ですから、イエスさまが地上で生活されて、30年の間、イエスさまの周辺の多くの人々はユダヤ教で亡くなりました。キリスト教は一人もいません。

 

なので、神の裁きの基準はイエス・キリストを信じるか、信じないかではない事が明らかだと思います。

 

そうでないと、イエスさまが30歳まで、「この人は大工ではないか。」という生活をなさっていたことを理解することは出来ないでしょう。

 

 

現在の日本はクリスチャンは約1%未満、イスラエルはクリスチャンは約2%と言われています。

 

なので、クリスチャンではない約99%の日本人と、約98%のイスラエル人は、「生前にイエス・キリストを信じなかったから救われない」という教えは到底、受け入れることは出来ないでしょう。

 

 

約2年前に亡くなられた名優の「渡哲也」さんの場合です。

座右の銘は夏目漱石の「則天去私」です。

 

そして、両親と弟をとても大切にして愛していました。

両親と弟さんは先に亡くなりました。

 

渡哲也さんは、亡くなる20年前に、故郷の兵庫県の高雄山観音寺で法名を授かっています。

それから20年、改宗することもなく、その法名で葬儀は行われました。

 

自分が死ぬことになれば、両親と弟と一緒に「仏教」でということは、多くの日本人が願っていることでもあります。

 

 

名優「高倉健」さんの場合です。

 

病床で最後の力を振り絞って綴られた最後の手記が公表されています。

 

その手記には、映画「網走番外地シリーズ」と「昭和残侠伝シリーズ」によって、トップスターとして働いている時のことをこう回想しています。

 

「撮影は、何本か同時進行で似たような筋立てが続いていた。精神的にも肉体的にも、僕は限界だった。」

 

そして、空虚になっていく心身の時に、大僧正となられる「阿闍梨」さんと出会われたのです。

 

その不思議なご縁は途切れることなく、高倉健さんは阿闍梨さんから戴いた「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」という言葉が大きな心の支えとなったようです。

 

手記の最後の締めくくりの言葉です。

「阿闍梨さんが浮かべる満面の笑みとともに、僕に一つの道を示し続けて下さっている。合掌」

 

高倉健さんが人生最大のピンチを救ったのが、先代箱崎文応大僧正の阿闍梨さんでした。

なので、仏教として亡くなられました。

 

そのような日本人は多いと思われます。

 

 

もし、渡哲也さんの両親がクリスチャンだったら、高倉健さんを救ったのが牧師や宣教師だったら、イエス・キリストを信じた可能性が高かったと思われます。

 

実は、渡哲也さんも高倉健さんも牧師とクリスチャンに会っています。

 

渡哲也さんの弟の渡瀬恒彦さんは、映画「親分はイエス様」の主役を演じています。

渡瀬さんが役作りの時に、福音派の教会の牧師とクリスチャンたちが一生懸命に伝道されています。

 

ですが、ご縁がなかったようです。

 

渡瀬恒彦さんも渡哲也さんと同じく、両親と兄弟をとても大切にして愛しているので、別の宗教のキリスト教になるところまではいかなかったのでしょう。

 

耕雲寺で葬儀が営まれました。

 

 

内村鑑三先生は、福音派の「生前にイエス・キリストを信じずに死ねば、永遠の滅びである」という教えに対して

 

「もし、人類の救済がわれわれ少数の伝道者の尽力によるものならば、人類を救済することは、絶望的な努力である。」

 

「私は、わずかに百人や千人の人を救い得て、他はすべて永遠の死[滅]にゆだねなければならないような、そんな絶望的な仕事には従事したくない」などと反論しました。

 

 

人はそれぞれ、尊敬している人がいます。昨年の小学生のアンケート調査では「両親」を尊敬している子がダントツに多かったです。

 

その両親が、両親の親(祖父母)と同じ墓で眠りたいと思っていれば、子どもも大きくなれば同じ墓で眠りたいと思います。

 

他に尊敬されている人は、大リーガーの大谷翔平選手など、世界で活躍している日本人たちでした。クリスチャンではありません。

 

 

私自身は、長年、日本の福音派の教会にいましたが、牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダー、クリスチャンたちの中で、尊敬する人はほとんどいません。

 

信頼できる人たちは、音楽制作で、お世話になったことがある「久米小百合」音楽伝道師、福音歌手の「森祐理」さん、ゴスペルシンガーの「べドウ路得子」さん家族、徳永さん夫妻、間瀬さん、あと数名ぐらいでしょうか。

 

後は信仰が違うので、仲が悪い人たちのほうが圧倒的に多いです。

 

カトリックではマザーテレサを尊敬していますし、日本基督教団では、留岡幸助牧師、石井十次氏、荻野吟子氏、お世話になった三浦光世先生と三浦綾子先生夫妻、土肥隆一牧師、聖公会の石井亮一氏、澤田美喜氏、

 

無教会の内村鑑三先生、矢内原忠雄先生、長谷川町子先生、中村哲先生、宮田光雄先生、

その方々たちは、とても尊敬しています。

 

 

ですが、この日本では、どれだけの人が、信頼できたり、尊敬できるクリスチャンと出会えるのかが問題です。

 

私の場合、初め、エホバの証人の人たちが訪問して、その人たちがキリスト教だと思っていました。

次にモルモン教の信者のイケメン外人と知り合い、英語を習いました。

 

一度、無断で休んだのを激怒されて、行けなくなりましたが、もし優しくされていれば、モルモン教の信者になっていた可能性があります。

 

 

福音派の牧師やクリスチャンは、生前にイエス・キリストを信じない人は滅びに向かっていると信じていますが、

それなら、どうして、エホバの証人のように何時間も人を救済するために伝道する人が少ないのでしょう。

 

私が知り合ったエホバの証人の人は、一日100件まわったり、駅前で熱心に布教活動をしています。毎日、5時間以上は伝道の時間です。

 

エホバの証人の場合、地獄に行くという教えではなく、より多くの人々を千年王国に入れるのが目的のようです。

ですが、熱心に訪問してくることに、感動する時がありました。

 

 

もし、本当にノンクリスチャン(未信者)は滅びの道を歩んでいるので、そのまま死ねば地獄へ行くと信じるならば、

 

家でテレビを見たり、ドラマや映画を見たり、SNSをしたり、スマホのアプリやゲームをしたり、趣味をしたり、そのような時間を過ごしていることに罪悪感があります。

 

神を礼拝し、祈り、賛美して、熱心に伝道したり、一人の人を救うために考えて、祈ったりしている時間が、心が安らぐ時間になります。

 

ですが、自分自身もそうですが、福音派の牧師やクリスチャンでも、自分の肉を楽しませる時間を過ごすほうが長い人が多いと思います。

 

自分自身は、福音派の教会にいた時、イエス・キリストを信じずに死んで行った人たちが地獄に行くとは到底思えなかったので、エホバの証人の信者のように、熱心に伝道することは少なかったのです。

 

 

イエスさまは30歳まで、福音宣教はされませんでした。

 

その間、イエスさまの周辺の多くの人々、イスラエルの多くの人々は、生前にイエス・キリストを信じることは出来ないので、ユダヤ教や他の宗教で亡くなっています。

 

現在のイスラエルと日本も同じような状況です。

 

ですから、無教会の教えを知った時、生前にイエス・キリストを信じるか、信じないか、それで天国か地獄か、というような教えは一切していないので、すごく安心しました。

 

カトリックも晴佐久司祭の万人救済の教えがあります。

 

調べた限りでは、日本基督教団や聖公会、正教会も、生前にイエス・キリストを信じない者は永遠の滅びなどと決めつけていないです。(例外があると思いますが)

 

しかしながら、福音派の教えがあっている人たちもいます。

福音派の教会のクリスチャンは数万人もいるのですから。

 

ですが、イエス・キリストを信じない人たちが地獄へ行かないならば、福音宣教は必要ないでしょうと言われています。

次は、何のための福音宣教(伝道)かについて書きたいと思います。

 

 

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