「戦争時代の無教会キリスト教(平和主義)の信仰」について
戦争中の日本は、健康な男子に召集令状(赤紙)が来れば名誉なことであり、応じないか、入隊中に脱走すれば「脱走兵」として「兵役法」によって裁かれました。
召集令状に対して、クリスチャンはどのように対応すればよいか、大いに悩み苦しむことになります。
無教会キリスト教(平和主義)の内村鑑三は「他人を自分の代わりに戦場に向かわせる兵役拒否者は臆病である。」と、キリストが他人の罪のために死の十字架についたのと同じ原理によって、信者に戦場に行くことを勧めました。
内村鑑三は1930年3月28日に召天しました。
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その後の1933年7月4日に「戦争に対してクリスチャンはどうするべきか?」という会合に、無教会キリスト教(平和主義)の金沢常雄と、無教会主義の伝道者の塚本虎二、関西学院教会の釘宮辰生牧師たちが集まりました。
その時に内村鑑三の「米軍が日本に上陸したら、戦争に参加するが、武器は取らずに戦死する」という発言が披露されたのです。
先生(内村鑑三)は、日米関係の切迫せる際、宣教師たちとの会合で、こう言明された。
「不幸にして米軍が我が国に上陸せんか、自分はこの身を米軍の前に投げ出す。
そして私の屍を超えて進軍せよと言うであろうと。
キリストの十字架を思えば、いかに熱烈な愛国者でも剣は取れない。
否、自分を敵の手に付すほどの愛さへも湧く。これこそ本当のクリスチャンスピリットではあるまいか」
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つまり、無教会キリスト教(平和主義)のクリスチャンは、召集令状を受け入れ、キリストの十字架を思い、戦場では剣(武器)を捨てて、この身を米軍の前に投げ出して殉教することが、クリスチャン魂だと教えたのでした。
1937年「日中戦争」の時、その教えを全うする道を選んだ無教会キリスト教(平和主義)のクリスチャンたちは、戦場で潔く十字架を負い、武器の代わりに「祈りと聖書」を持って、命を捧げました。
「私の信仰の知人なる北海道五之沢の市川博君は、目下上海の戦場の第一線にありて、烈しき戦いの中で、祈りと聖書により、堅立して居らる。」という記録が残されています。
戦場の烈しき戦いの中で、武器の代わりに「祈りと聖書」を持って、堅立して戦ったのです。
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この無教会キリスト教(平和主義)のクリスチャンの「市川博」君の戦場での証は、あのカトリックの無教会キリシタンたちの「浦上四番崩れ」における少年や幼児たちの殉教を思い起こされました。
現在、ロシアがウクライナを侵略する戦争が行われています。
21世紀にロシアのような大国が、隣国を侵略する戦争を起こすことは信じられませんでしたが、現実に起こっているのです。
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日本は戦争を放棄しているので、戦争に関わることはないのですが、何が起こるかわからない時代になっているので、しっかりと自分を見失うことがないように、過去の戦争からも学ぶ必要があると思いました。
自分自身は、戦争時に対する無教会キリスト教(平和主義)の市川博君の証と、浦上四番崩れにおける無教会キリシタンの少年と幼児たちの殉教が最も心に響いています。