キリスト教の救いについて ③ 神は愛です | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「キリスト教の救いについて ③」

 

日本におけるキリスト教宣教の歴史的考察をされている黒川教授の1999年の論文によれば、日本宗教学会の調査において、日本人の評価は、宗教に対する信頼は、仏教が60,9% 神道は42,2% キリスト教は29,7% 

 

黒川教授は、「日本人にとって、キリスト教は、まだまだ信頼できず、また、わからない宗教なのである。」

 

「ところで、いわゆる今日の宣教理論の多くは、欧米のものである。必ずしも、それらが日本に当てはまるとは限らない。」と言われています。

 

そして、1549年から始まったカトリック教会の福音宣教が驚くほどの成果を挙げていることを資料を交えながら教えています。

 

 

その福音宣教については、前回記事で紹介した通り、生前にイエス・キリストを信じていなくても「救いの対象」になるという教えに転換させたことが大きかったのです。

 

十戒の第一~第三までの代わりにローマ2章14,15節「たとえ律法を持たない異邦人であっても、律法の命ずることを自然に行なうのであれば、自分自身が律法である。」を適用したのです。

 

すると、十戒が自然法となり、生前にイエス・キリストを信じずに死んでも救いの対象になり得るのです。

 

つまり神の普遍的な愛 神の万人救済の希望です。

 

この日本人に対する福音はトーレス宣教師が案出したものです。

その教えに大勢の日本人は、大いに喜んで、デウス(イエス・キリスト)を信じるようになりました。

 

 

ザビエル宣教師の次に日本に来たトーレス宣教師は、山口県において、ザビエル宣教師と同じく育児室、産院などを建設して、貧民救済を行なった。

 

また寺小屋のような教育施設を建設して、子供の教育にもあたった。

そして、貧民だけでなく、日本社会の支配層に宣教して、全国的影響力をもつという方針をたてた。

 

そしてアルメイダ宣教師が来日して、戦国の激しい世の生活苦で、民衆の間で、生まれて間もない赤ちゃんを殺す子殺しという悪習が行われていることに心を痛めました。

 

それで、私財を投じて、赤ちゃんを救う施設を設置することを領主大友義鎮に申し出て、聞き届けられた。それから私財を投じて、日本初の総合病院を創設して、多くの人々を癒しました。

 

1569年にはキリシタンの数は、2万6500人となり、最初の上昇期をむかえた。

 

 

しかし、トーレス宣教師がヴィレラ宣教師を平戸に送ったことで、混沌としました。

 

ヴィレラは日本人を軽蔑し、日本の既成宗教(仏教)を悪魔の宗教とみなし、日本人信徒らに寺社から仏像や経典などを盗み出して焼却させるという暴挙に出たため、領主松浦隆信によって退去を命じられたのです。

 

 

また、カブラル宣教師が来日、カブラルは、日本人を悪人と考えており、神を信じた偉い立場の人間として、高い立場から日本人と接しようとした。

 

キリシタン大名と結託して、支配者が権力的に領民をキリスト教に改宗させる手段がとられた。

それで民衆の反発にもあい、教会自体も分裂してしまった。

 

 

次にオルガンティノ宣教師が来日しました。オルガンティノ宣教師は仏教を研究して、日本文化へのキリスト教への順応をめざす布教を展開した。

 

信頼を得たオルガンティノ宣教師は、織田信長の保護を得て、京都の南蛮寺、安土にキリシタン大名の高山右近の援助によって、神学校を建設した。

この時期において、毎年1万人以上の者が洗礼を受けた「聖なる競争」と呼ばれるほど、宣教は展開していった。

 

 

そして、日本の福音宣教において歴史的快挙を成し遂げる「ヴァリニャーノ宣教師の宣教」が1579年から始まるのです。

 

ヴァリニャーノ宣教師の福音宣教は前回記事で紹介した以外にも、とにかく日本人愛を徹底した。

日本語を使用し、衣食住においても日本の習慣に順応しようとした。

 

そして日本人を悪人に定め、日本文化を軽蔑していたカブラルを辞任させた。

 

また、日本語によるキリスト教の教理や、聖書物語を次々に出版した。

それから、演劇や歌によって、聖書の教えをわかりやすく広めた。

 

 

そして、日本人への愛への情熱は、ますます高まって、愛の慈善活動を拡大させた。

 

長崎において、「慈悲屋」が開設された。これは養老院、孤児院、難民救済所として機能した。

 

さらに「養生屋」と呼ばれるライ病院も開設された。

実際にライ病が癒される神の御業も起こっています。

 

それから、娼婦の救済活動なども行われた。

このような慈善活動は、「ポロシモ(隣人)」と呼ばれ、戦乱の世にある民衆によって受け入れられていった。

 

 

また伝道士や日本人司祭を養成する「セミナリオ」という学校を作った。

神学の他に、オルガンや歌(合唱)を教え、画家や彫刻士、印刷工の養成も行なわれた。

ただで教えられた。

 

孤児たちを救う「コレジオ」を作り、日本語やラテン語、唱歌を教えた。

言うまでもなく、ただである。

 

こうして、日本史上最大のクリスチャン超急増が起こり続けたのです。

 

 

キリシタンの間で愛読されていたのが、「神を愛し、それだけに仕えること、それ以外は、空の空、すべてが空である。(コレヘト1:2」

「一度決めた覚悟を忘れぬように、そして、いつも『十字架につけられた者(キリスト)』の姿を自分の前に置きなさい」という教えです。

 

この世の価値より、天国における喜びを重んじて、キリストの十字架を担う人生のあり方を心に留める教えでした。

ロザリオの祈りに含まれる15玄義のうち、5つはイエスの受難と十字架上の死を黙想するものである。

 

 

殉教していったキリシタンの信仰を調べた佐藤教授は、

「キリシタンは、イエスを身近に感じることができ、自分もイエスのように生き、イエスのように死にたいと願って、信心を深めていったのであろう」という見解をもちました。

 

 

こうして、日本史上で唯一のクリスチャンが日本で急増した理由は、日本人をありのままで愛して、日本人には日本人に対する福音宣教に徹底したことだと思いました。

 

ヴァリニャーノ宣教師はマタイ22章37「心・思い・知力を尽くし、神を愛し、隣人をあなた自身のように愛する」を掲げていました。

 

「生前にイエス・キリストを信じずに死んでも、救いの対象になり得ること」

 

「日本人の良心に適応した福音宣教をしたこと」

 

「他の宗教も認めて、クリスチャンの参加も認めたこと」

 

「慈善活動の拡大はマタイ25章35~36の最も小さき者に食べる物と飲み物を与え、宿を貸し、着る物を与え、見舞いをした実践です。」

 

「孤児、娼婦、らい病人、苦しんでいる人々を救済しました」

 

「学校を開設して、日本人にキリスト教の教えを無償で教えました。神学だけでなく、歌や演劇、画家、職人業なども教えました。」

 

「聖書を教える絵本や本、演劇や歌(今でいう賛美)も広げました。」

 

この御言葉が思い起こされます

「あなた方の光を人々の前で輝かせ、人々があなた方の良い行ないを見て、天におられるあなた方の父を崇めるようにしなさい。マタイ5章16」

 

 

プロテスタント福音派は、人間を生まれながら御怒りを受ける地獄行きの運命と定義づけました。

つまり人間は、悪魔と同じく地獄が行くべき故郷のようです。

 

 

ヴァリニャーノ宣教師たちの福音宣教は、ヨーロッパなどでは、そのような福音派と同じような福音宣教をしていました。

 

だけど、日本では、日本人の素晴らしい良心に感銘して、神は、日本人をありのままで愛されている

 

人間を造られたイエスさまのところが、日本人の行く故郷なのです。創造主に造られた人間は、創造主のところへ帰りなさいという福音宣教だったと思いました。

 

聖書で言えば、ルカ15章11~32の放とう息子に対する御言葉を実践されているのです。

 

とにかく、神を信じなくても、愛して、愛して、ただ愛するだけという神の愛だけという福音宣教ですね。

 

そのような福音宣教は、無教会キリスト教の内村鑑三先生も教えていました。それが万人救済の希望になっています。

 

これからの日本で、そのような福音宣教が拡大していく予感がしています。