なぜ日本にキリスト教が広がらないのか?(クリスチャンは少ないのか)⑥ キリスト教の救いについて | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

最近の投稿記事はFacebookのほうでも同じ内容を発信しているのですが、福音派の牧師やクリスチャンたちは、こちらをブロックする人が相次いでいます。

やはり、福音派ではどんな穏健派であっても、ノンクリスチャン(未信者)が救われると思わせる解釈をする人を危険視するようです。

 

ブロックされる事については、所詮、文字の世界で交流がある程度の軽薄な関係なので、数日経てばすっかり忘れてしまいます。

ですが、聖書にはノンクリスチャン(未信者)は地獄へ行くとは書かれていないし、救われるとも書いていません。

 

それでも福音派では地獄行きと決めて、万人救済希望派では救われるという希望を持っているわけです。

 

それで、お互いの神学を学んでいて、自分なりに解釈したものを伝えていこうと思います。

 

 

福音派の有名な牧師たちは、聖書の「滅び」を地獄行きと解釈しています。

 

福音派で影響力のある重鎮「滝元明」牧師の著書「こんな大きな御利益はどこにもない」でもその事が以下のように書かれています。

「『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである。ヨハネ3章16節』

すなわち、地獄に行かないで、永遠の命を持つためである。と断言されているのです。

私が主イエスさまを信じ、このみことばを読んだ時、心の目が開かれたのです。

 

『信じる者が、ひとりとして滅びることなく』ということは、信じる者は救われ、信じない者は滅びる(地獄)ということなのです。

信じない者は火と硫黄との燃える池に入ると教えられているのです。

信じない人は地獄に行く。これは大変なことだと思いました。」

 

以上のように滝元牧師は、生前にイエス・キリストを信じなかった人は地獄へ行くと断言して教えています。

 

 

それから、生駒聖書学院の創設者で学院長の榮義之牧師も著書「天の虫けら」の中で「人は生まれながらに罪人であり、神との関係では霊的に死んでおり、肉体の死と同時に滅び、やがては審かれ、地獄へ行く。」と断言して教えています。

 

 

プロテスタント福音派の神学では、生まれながらの人間はアダムの原罪を持っており、罪を持ったままでは救われません。罪人である人間は地獄へ行くことが「神の義」だと教えます。

 

他の福音派の神学校で教えている牧師たちも、伝え方にはそれぞれ個性がありますが、同じように教えていました。

 

 

一方で、他のキリスト教の教えはまるで違います。

プロテスタントの日本基督教団の鈴蘭台教会の牧師は、以下のように教えています。

「聖書自体っていうのは、あんまり死後の世界について興味がない。

誰が天国に行き、誰が地獄へ行くのか、安易に結論づけるのは出来ない。

 

「地獄」の訳語があてられているのは「ゲヘナ」というギリシャ語です。

このゲヘナは現実世界の特定の地名で、ベンヒンノムの谷というエルサレムの南方にある谷です。

そこは、バアルやモロクといった神を信奉する異教徒が、子供をいけにえとして焼いた場所だと伝えられています。(列王記下23:10、歴代誌下28:3など)

また、ユダヤ人はそこで罪人の死体を焼いたとされています。そこでは死体を食ううじは尽きることがなく、火は消えることはありませんでした。

しかし今、ゲヘナと呼ばれた場所の火は消えています。

 

それから聖書の時代での「永遠」という言葉の意味は、日本人がもつ未来永劫という意味ではなくて、数年程度のことを言っています。

なので、聖書には一環とした地獄観というのはないのです。」

 

それから、カトリックが教える煉獄についても肯定的に言っていました。

 

 

そして、万人救済希望派の信仰者たちは、ヨハネの福音書3章ではなく、ローマ5章を重要視しています。

ヨハネの福音書では御子を信じる者は救われて、御子を信じない者は滅びるという教えですが、パウロは信じる者と信じない者という教え方ではないからです。

 

「しかし、私たちがまだ罪人であった時、キリストが私たちのために死んでくださった事により、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5:8」

 

つまり、私たちが信じたからではなくて、まだ罪人であった時に、その罪を背負って死んでくださったのです。

 

「こういうわけで、ちょうど一つの違反(アダムの罪)によって、すべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為(主イエスの十字架の死)によって、すべての人が義と認められて、命を与えられるのです。

すなわち、ちょうど一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、一人の従順によって多くの人が義人とされるのです。ローマ5:18~19」

 

つまり、御子を信じる者という条件付きではなく、信じる者と信じない者を分けることもなく、すべての人が義と認められるのです。神の無条件の愛です。

 

イエス・キリストの十字架の贖いによって、すべての人が義と認められたことが「神の義」のように教えます。

 

万物はみな、御子によって造られたのだから、造られた方は、すべての造ったものを無条件で愛しているという事が伝わって来ます。

 

 

ノンクリスチャン(未信者)の宗教学者が、三大宗教の天国と地獄の教えを徹底的に調べて、論文や著書を書かれています。

福音派と他のキリスト教の教えを平等に調べながら、聖書の天国と地獄の箇所を入念に調べた結果、以下のように結論づけていました。

 

「解釈が割れるということは、聖書には、人が死んだらどうなるのか、さらに終末ではどうなるのかが道筋立っては説かれていないということです。

聖書が書かれた時には、これらの観念はなお漠然としていたのです。

地獄内部についても、詳しく書かれているわけではありません。」

 

どちらかと言えば、福音派の教えは理解が難しいように思われていることがわかります。

聖書を読めば、福音派の教えは人の常識的な観念からは逸脱しているように思えるからでしょう。

 

 

ノンクリスチャン(未信者)が死後、どこへ行くのかについても、福音派と他のキリスト教の教えは、まるで教えが違うので、平行線をたどるだけです。一致は不可能に思えます。

 

福音派では、生まれながらの人間は、アダムの原罪を持って生まれて地獄行きの運命だと教えます。

他のキリスト教では、生まれながらの人間はアダムの原罪を持っていないと教えます。

イエス・キリストの十字架の贖いによって、すべての人は義と認められたのです。

 

結局は、どの教えが自分に合っていて、心に響くかという事でしょう。

 

 

福音派は、ノンクリスチャン(未信者)を滅びに向かっている人々、そのまま死ねば地獄へ行ってしまうと確信しています。

 

他のキリスト教の教えはそうではありません。

 

プロテスタントの日本基督教団の教えは、日本基督教団大阪大道教会の礼拝メッセージ「囲いの外の羊をも ヨハネによる福音書10章16節」は以下のように教えています。

「わたしには、この囲いに入っていない他の羊もいる。その羊をも導かねばならない。ヨハネの福音書10章16節」

「私には、『囲いの中』が、主の御名によって集まる場所、すなわち教会であり、『囲いの外の羊』が教会から出た一般社会を意味するのではないかという気がします。

 

そこには、イエスのことも、神のことも知らないし、知りたいと思っている羊たちがたくさんいます。しかし、そのような羊たちをも、イエスは『わたしの羊』と呼ぶのです。

 

神はクリスチャンにだけ恵みを与えるのではなく、ノンクリスチャン(未信者)にも同じ恵みを与えるはずです。なぜなら神は、すべての人にとっての神だから。というのが本当の信仰だと思います。」

 

 

内村鑑三牧師やカール・バルト牧師、宮田光雄先生たちは、万人救済希望派で、ノンクリスチャン(未信者)の方々を救われる民として見ています。

 

聖書の教えでは、使徒18章1~11節になります。

パウロは、イエスがキリストであることをユダヤ人たちにはっきりと宣言した。しかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは怒って「あなた方の血は、あなた方の頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のところに行く」と言って、そこを去った。

 

ところが主は幻によってパウロに「恐れないで語り続けなさい。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。

 

パウロの目には反抗して暴言を吐く民がたくさんいると思って、見捨てました。

しかし、イエスの御目には「イエスの民」がたくさん見えていたのです。

 

未来を信じて、ノンクリスチャン(未信者)の方々を「イエスの民」と思っています。

 

 

このようにキリスト教の教えは、プロテスタント福音派と、他のキリスト教とでは、大きく違うのです。

 

福音派では、クリスチャンは永遠の命を持つ救われた者で、ノンクリスチャン(未信者)は永遠の火に入る(地獄行き)者と教えています。

 

ところが、日本基督教団では、イエス・キリストはすべての人の神だから、クリスチャンもノンクリスチャン(未信者)も同じ羊だと教えます。

万人救済希望派では、イエス・キリストの十字架の贖いによって、すべての人(クリスチャンもノンクリスチャン(未信者)も)義と認められて救われると教えます。

 

そして、それぞれが放つキリストの香りもまったく違ってきます。

 

福音派の牧師やクリスチャンたちからは、その神学とおりに、ノンクリスチャン(未信者)はそのままでは地獄へ行ってしまうよという香りもする人が多くなっていると思われます。

 

そして、日本基督教団や万人救済希望派、カトリック、聖公会、正教会の牧師・神父・クリスチャンからは、その神学とおりに、ノンクリスチャン(未信者)でも滅びると言われた人であっても、愛するよという香りがする人が多くなるでしょう。

 

 

私は見た目も童顔で真面目なタイプです。不良と言われる人たちとは世界が違うので苦手ですが、不思議と不良たちから好かれます。

初対面の子供たちからはすごく好かれて、公園でトレーニングしていると、公園に来た子供のほうから「遊んで」と言われることが何度もあります。

それは、クリスチャンもノンクリスチャン(未信者)も滅びると言われた人も同じで、すべての人をイエス様は平等に愛しておられ、救われると思っているキリストの香りを放っていることが大きいと思いました。

 

それは、日本の世の中で影響を与えているクリスチャンたちを調べて見ても気づきました。

 

 

日本で最も福音に用いられていると思われる作家の三浦綾子先生は日本基督教団です。

また作家の遠藤周作先生と曾根綾子さんはカトリックです。

 

日本で最も影響力のあるクリスチャンは、カトリックのマザーテレサです。次に現在の社会福祉で尊敬されている5人の中に3人のクリスチャンがいます。一人は日本基督教団の留岡幸助牧師、一人は日本基督教団の石井十次師、一人は聖公会の石井亮一師です。

 

有名な賀川豊彦牧師も日本基督教団です。また、テレビドラマでも放映された、アメリカと日本から見捨てられて、鬼畜米兵の子供だと憎まれた混血孤児たちを救った澤田美喜さんは聖公会です。

 

最近、映画になった日本初の女医「荻野吟子」師は日本基督教団です。

 

キリスト教の中には

クリスチャンは天国へ行く者、ノンクリスチャン(未信者)の方々を地獄へ行ってしまう者と思っているキリストの香りを放つクリスチャンがいれば、

 

クリスチャンもノンクリスチャン(未信者)も同じで、神の恵みを与えられる者、神に義と認められた者というキリストの香りを放つクリスチャンがいるのです。