キリスト教の牧師とクリスチャンの教えで、自殺は罪であり、自殺すれば地獄行きというものがあります。
その根拠は、聖書の教え「殺してはならない」から、自分で自分を殺すことも罪になるという解釈です。
そして、神さまから与えられた命を自ら捨てることは、神さまから与えられたものを拒絶する事になり、生きることを望んでおられる神様の御心に反します。それは神さまを否定することになり、悔い改める機会を自ら絶つことになるので、自殺は大きな罪であり、地獄行きだとする教えです。
自殺志願者を救う働きをされている牧師は、自殺志願者に共通しているのは「極限の孤立状態に陥ったので、死を選ぶ」と実感されています。
死にたくなった人たちが、キリスト教の教え「自殺は罪であり、自殺すれば地獄行き」というような教えを聞けば、キリストは死にたくなる人を責めている。怒っていると思い、そのような神さまのところへは行きたいと思うことはなく、遠ざかります。
これは、悪魔の策略だと思います。悪魔は聖書の数々の御言葉を悪用して、キリストから引き離し、孤立させ、殺します。
死にたくなる人は、極限の孤立状態に陥って、絶望、不安、恐れ、暗闇に覆われている状況だと思います。
そして、誰も信頼できない、誰も助けることは出来ないという考えが支配しているのではないでしょうか。
そういう時に、キリストの教えは「自殺は罪であり、自殺すれば地獄行き」ということを知れば、死のうとしている自分が責められていると感じて、不安や恐怖の思いが増大すると思われます。
つまり、多くの牧師やクリスチャンを通して、キリストから引き離されていることになります。
死にたくなる自分を、神さまが怒っている。そして、この暗闇から誰も助けることは出来ない。と追い込まれてしまえば、死を選んでしまうのも理解が出来ます。
イエス・キリストは、死にたくなる人々の気持ちを理解されています。
ナインの町の青年が死んで、担がれているのを見た時、イエス・キリストは、はらわたがちぎれるほどの痛みを覚えられました。
死にたくなっている人々を見て、深くあわれまれ、共に泣いておられるのです。
「自殺は罪で、自殺すれば地獄行き」という教えは、悪魔の策略です。聖書にそんな事は書かれていません。
死にたくなる人々の気持ちを理解されて、泣いておられ、あわれんでおられるのが、主イエス・キリストです。