人は、神様からの一つ一つの言葉によって生きる | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

キリスト教の教えでは、「神は私たちを世界の基の置かれる前から、キリストのうちに選び、御心のままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」エペソ1:4,5ですので、

 

イエス・キリストを信じたクリスチャンは、神様の子となり、神様からの一つ一つの言葉によって生きるようになります。マタイ4:4

 

「あなたは高価で尊い、神様の宝物です。」

「わたしはあなたを愛しています。」

「あなたは、良いことをするために造られた神様の作品です。」

 

※ しかしながら、様々なキリスト教会があり、プロテスタント教会やカトリック教会などもあり、また、その教会を任されている牧師や神父によっても、様々な教え方があります。

 

このようなブログ記事を書く牧師、神父、クリスチャンの記事内容によって、励まされたり、信仰が養われたり、癒されたりすることがありますが、惑わしたり、つまずきを与える場合も多々あります。

 

やはり聖書を調べて、神様からの一つ一つの聖書の御言葉を確認しなければならないでしょう。

 

前回の記事で、プロテスタントのブログ村1位を続ける「るちゃん」は、御言葉を確認する信仰です。そしてプロテスタントのブログ村2位を続ける「ダビデの日記」も御言葉を確認する信仰で、原語から答えを見出しているので、とても助かりました。

 

◇ ダビデさんは、クリスチャンの中でとてもフォロワーが多い牧師や預言者に対して警鐘を鳴らしているブログ記事も書いていました。

 

幽体離脱で天国に行ったことや、金粉をよく受け取る、天国の賛美が聞こえて歌うなど、センセーショナルなことを売りにしていて、魅了されるクリスチャンたちが多い、女性牧師についても、聖書の御言葉から危険を指摘されていました。

 

聖書にはパウロが、無益なことですが、やむをえないことで話したのが、幽体離脱のような感じで、第三の天のパラダイスまで引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことの出来ない言葉を聞いたことです。

 

無益なことを誇り、語ることを許されていない「天国の言葉」で賛美するのは、御言葉の教えに反することなので、そのような牧師の話を聞きたいとは思いません。

 

また、中国の方で、キリストが女となって再臨したという全能神教会が広がっています。

その自称キリストは女性で中国人です。

イエス・キリストは「ユダヤ人」です。

ユダヤ人の国「イスラエル」が聖書の舞台です。

 

※ しかし、自分の信仰とは違うことでも、参考になることがあります。

自分自身は、虐待児や孤児、飢えで苦しむ子供たちに重荷があります。

1万人の孤児を育てたジョージ・ミュラー師の信仰が「人はパンだけ生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」マタイ4:4です。

聖書の御言葉を日々、待ち望み、受け取りました。

 

例えば、ある日、子供たちの食事が底をついた時に、祈り求めて、「あなたの口を大きく開けよ。わたしは満たす」という御言葉が与えられて、その御言葉を信じて生きると、その通りになって、神様の方法で与えられたのです。

その同じ信仰を持つことで、自分自身も神様に導かれて救われました。

 

◇ だけど、ニューヨーク・ブルックリンなどで2万人以上の貧しい子供たちに生きる希望と勇気を与え、道端で礼拝する教会学校の働きをされているビル・ウィルソン牧師の信仰は違いました。

「神の愛」という大会のテーマで、5人の説教者がメッセージしました。

他の4人の牧師は「神様は全ての人を愛してくださる」語りましたが、

 

ウィルソン牧師は「まず最初に神様は、誰も同じように愛してくれるなんてことはありません。」と言ったので、会場全体が凍り付きました。

 

テレビ番組に出演した時には、インタビュアーが「ビル先生。どんなふうに神様があなたをニューヨークに招かれたのか教えてください。」の問いに

 

「神様は何もおっしゃいませんでした。」と答えられたので、インタビュアーは凍り付いたのです。

 

ビル先生は、多くの人々が、神様からの声を待っています。

また、どこでも人々は「私に触れてください。私を癒してください。私を変えてください。」と祈るのです。確かに良い祈りですが、それだけでは変化は起きません。

 

「まず神様の愛を学ぶことです。」

 

周りの人や、たとえ親が自分に対してどういう態度で接して、何をしたとしても

「それでもイエス様は、私を愛してくれているのだ。」という事実を学びとらなければならないのです。

 

※ このような信仰は初めて知りました。神様から何も言われていないのに、貧しい子供たちに福音を伝える働きを始めたのです。

 

マザーテレサは1946年に汽車の中で、神様から「病める者に手を差し伸べて、飢えている者を助けよ。」と啓示を受けられたので、聞き従いました。

 

しかし、ビル牧師のように、神様からの啓示や、聖書の一つの御言葉が与えられたからではなく、あの良きサマリや人のように、目の前の半殺し状態の人を見れば助けて介抱してあげる信仰もあるのです。

 

ブルックリンでは、親が麻薬中毒だったり、複数の男性とつきあったりして、子供は心が半殺しの状態と言えるでしょう。

 

エイズの子もいますし、薬でらりって、子供を殴り飛ばしたり、虐待されています。

 

その目の前にいる心が半殺し状態の子供たちを介抱するのに、神様の啓示や、聖書からの答えを待つ必要はありませんね。

 

日本でも虐待されている子供たちは大勢います。

自分の町で、中学生の子が家にはいたくないので、夜遅くから朝まで駅周辺をさまよっているところを、知らない男が優しい声と手を差し伸べて、ついて行くと、無残な姿で発見された事件がありました。

 

あれから約1年経ちましたが、真夜中の町をさまよっている小・中学生が何人もいると新聞記事にありました。

 

クリスチャンは、周辺にいる、心が半殺し状態の隣人・子供たちのために祈り、目の前にいるのを見れば、声をかけて介抱してあげる。そのような信仰が神様と近いのだと思います。

 

何か奇跡としるしを起こすとかに目を向けていると、神様から遠ざかります。

 

神様に近いクリスチャン(神様の子)でいたいですね。

 

 


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