病いの癒し | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。


聖書には「信じる人には次のようなしるしが伴います。わたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置けば病人は癒されます。」マルコ16:17,18と教えられていますし、イエス様と弟子たちの地上での宣教は、病人の癒しの業も多かったので、現在でも牧師・神父・クリスチャンたちは、病人の癒しの御業を行なうべきだと主張する信仰者たちがいます。

 

けれど、病人の病いの癒しは必ず起きると信じる信仰者たちは、「つまずき」を与えている場合もあります。

 

それは、多くのクリスチャンたちは、病いが癒されない場合、信仰がダメだと嘆き苦しんだり、病いの癒し・奇跡としるしが起きることに期待して、起きないと失望するということです。

☆ 

 

実は、聖書の教えでは「病いの癒し=奇跡としるし」よりも「癒されないことでキリストの力が完全に現される」と教えられてもいます。
「そのために私は、高ぶることがないようにと、肉体に一つのトゲを与えられました。それは私が高ぶることがないように、私を打つためのサタンの使いです。

このことについて、このトゲを私から去らせてくださるように」と、三度も主にお願いしました。
しかし主は「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからです。」と言われたのです。ですから、私はキリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで、私の弱さを誇りましょう。

ですから、私はキリストのために弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」第二コリント12章7~10節
  
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クリスチャンになっても、病いになったり、障害者になったり、ダウン症の子供が生まれたりします。

サタンは「クリスチャンなら癒されるはず。どうして何年経っても癒されていない?どうして障害者になった?どうしてダウン症の子が生まれた?」などと攻撃して来ます。

このようなサタンの攻撃に惑わされてはいけません!

イエス様は、病いになったり、障害者になったり、ダウン症の子供が生まれたりすることは、イエス様の力が完全に現されるためですよ。と言われるのです。

イエス様は癒されたり、奇跡のしるしを見せることよりも、あなたの弱さにイエス様の力が完全に現されるためであることを知ってほしいのです。

ですから、癒されたら感謝だけども、癒されなくても感謝なのです!そういう信仰を神様は喜ばれます。

歯科医で定期検査した時に、ダウン症の男の子がいました。ダウン症の子供は「天使」と呼ばれています。いつまでもあどけなく、よく笑います。その笑顔は、苦しみの時も明るい光になっています。

☆ 日本で最も世の光として神様に大きく用いられているのが、三浦綾子さんと星野富弘さんです。二人に共通しているのが、大きな病いが癒されていないことです。

三浦綾子さんは福音を伝える作家の仕事です。しかし結核、脊椎カリエス、帯状疱疹、直腸がん、パーキンソン病など病いで苦しみ続けます。ペンも持てなかったので、夫の三浦光世さんが公務員の仕事をやめて、作家の仕事の手となり足となられたのです。

イエス様が癒してくださればと祈られたのですが、癒されないで、夫婦が力・思い・知性を尽くして一緒に福音を伝える作家の仕事を全うすることが御心だったのです。

星野富弘さんも体育教師になって二か月後に、授業中に転倒し、首から下は不随になってしまいました。まだ当時24歳でした。それからクリスチャンになりましたが、癒されることはなく、何十年も経ちます。

しかし口で絵と詩を書いて、詩画家として、世の光となられました。
口で筆を加えて、絵と詩を書くことが「イエス様の奇跡の御業」だったのです。

「私たちは、どのような苦しみの中にいる人をも、神から受ける慰めによって、慰めることができます。それは私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。

もし私たちが苦しみにあうなら、それはあなた方の慰めと救いのためです。」第二コリント1章4,5節

☆ 人は誰もが、病いになると苦しく、痛いです。速く癒されたいです。毎日「イエスの御名と打たれたうち傷によって癒された!」と祈り続けます。

しかし「癒しの御業・奇跡のしるし」ばかり思っていると、癒されないと失望します。
現実にクリスチャンでもうつ病、精神疾患の人は何人もいます。
牧師や牧師婦人でも精神を病んでしまった人が何人もいるのです。

悪魔は「どうしてクリスチャンなのに、精神疾患なんだ?うつ病なんだ?癒されないんだ?」と周りのクリスチャンを通して訴えて来ます。

それは悪魔の策略です。悪魔でも癒しの業を起こすことが出来ます。そして、癒しの業を強調して、癒されないと裁いて来るのです。

悪魔の策略に惑わされることに注意することが必要でしょう。

イエス様は、もしも、精神疾患でも、うつ病でも、癒されていなくても、その弱さに、イエス様の力が完全に現されると言われています。ですから弱さを誇ります。

ですから、私が弱い時にこそ、私は強いのです。と言えるのです。

※ 

 

イエス様が癒しの業を行なわれた時に「誰にも何も言わないようにしなさい。そして人々の証のために、モーセが命じたものをもって、あなたのきよめの供え物としなさい。」と言われました。

ところが彼は出て行って、町中に言い広め始めた。そのため多くの人の群れが、イエス様の話を聞きに、病気を直してもらいに集まって来た。しかしイエスご自身はよく荒野に退いて、祈っておられた。ルカ5章14~16節

偽善者たちは人通りの場所で、良いことをします。
しかし、もしイエス様から「癒しの御業」を行なうように言われたら、聞き従いますが、癒した後で「誰にも私が癒したと言わないように、ただイエス様を信じるあなたの信仰が病いを癒されたのです。」と伝えて、退いてよく祈る。へりくだって、神に栄光を帰すことが大切です。