その悪い出来事をつい考えると「怒り」や「憎しみ」「失望」などに満たされてしまいます。
そんな時にクリスチャンは考えずに、神の愛を感じることによって、その悪いことを考えることから解放されます。
「木」を見て「森」を見ず!ということわざがありますが、クリスチャンの場合はその「問題」を見ずに、その問題を支配している「神の御業」を見ます!
問題を見つめていると、その問題が大きく思えたり、本当に解決する日は来るのだろうか?と不安になります。そうではなく、その問題を支配されている神様はどんなお方かを感じるのです。
するとイエス様や聖書の御言葉を慕い求めます。
「信仰は望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させるものです。昔の人々はこの信仰によって称賛されました」へブル11章1、2節
この考えるな!感じるんだ!の教えは世の中では映画「燃えよドラゴン」の冒頭で、師匠のブルースリーが弟子の青年に教えるシーンで有名になりました。
師匠が弟子を教える時に、弟子は指導する師匠の指を見ますが、そうではなく指が指す方向の「月」を見るのだ。怒りではないのだよ!と諭しています。
クリスチャンも現状のひどい事や、苦しみ、悩みを見ているとウツになったり、罪や怒りに支配されたり、絶望したりしてしまいます。ですから神様が示される将来を見つめます。
「あなた方に立てている計画は災いではなくて、平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるものだ!あなた方が心を尽くして、わたしを探し求めるなら、わたしを見つけるだろう」エレミヤ29章11節
クリスチャンの真髄こそ「考える」よりも「神様を感じる」ことなのですが、日本のクリスチャンは考えることが大好きだと言われています。
韓国は「祈り」、台湾は「賛美」、日本は「議論」と言われるぐらいです。
まずは「自分の肉の思い」や「御言葉解釈」を考えて伝えるのではなく、個人個人がイエス様を慕い求めて、神様の愛を感じて、心に平安が与えられて落ち着くことです。
すると神様に聞き従って与えられる御言葉によって聖められ、キリストにあって強くされ、そのキリストの愛と香りを放つことが出来ます。
あれこれと考えずに、神様の愛を感じるようにしています。
「信仰がなくては、神に喜ばれることは出来ません!神に近づく者は神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方である事とを信じなければならないのです」へブル11章6節