子供の出産後

「実家でのトラウマを思い出してつらい…」

 

愛着障害、パーソナリティ障害のある両親のもとで育った私

 

●父→DV・モラハラ・ASD(尊大型)

   自己愛性パーソナリティ障害

   愛着障害:不安・未解決型

   

●母→躁鬱病・カサンドラ症候群

   依存性パーソナリティ障害(幼児型)

   愛着障害:回避・未解決型

 

生きづらさ、思考・認知のゆがみ毒親育ち・機能不全家庭での

トラウマが原因だった

 

~自分自身の人生を生きるために、自分の感情を開放する~

 

【親の呪縛解消 × 

ジャーナリング・ノート内観術】

 

 

 

 

お疲れ様です飛び出すハート

 

 

 

前回の続きです

 

 

 

自分の学歴を高めたかったのも「取引行動」と「お伺い行動」 

 

 

 

私が大学院に行って

専門性を高めたかったのは

 

 

 

父に

 

●見下されたくない

 

●認められたかった

 

からです

 

 

 

恥ずかしいですが、認めます

研究も好きで楽しかったです

 

 

 

でも専門分野で「博士号」

を取れば「何者」かになれる

という思いも強かった

 

 

 

 

 

 

専門分野で「博士号」を取れば

「私には何かが足りない」という

自分の欠乏感がなくなると思っていた

 

 

 

なぜ私が大学院に進学できたのか?大学進学が父の愛情だった 

 

 

 

実家は、父のお金の使い方

が変で、経済的に余裕はなかった

 

 

 

父のパチンコ

食費とお酒にお金をかけすぎ

実家はエンゲル係数が高すぎだった

 

 

 

そして私も妹も

学費は出し渋りされた

 

 

 

学費は

父に出してもらった時と

自分で出した時がある

 

 

 

 

 

 

父自身は

高校生卒業後の進路を考える時

祖父から学費の出し渋りをされて

大学に行けず

学歴コンプレックスがあった

 

 

 

父は大学に進学したかったし

法律の勉強をしたかったのに

 

 

 

高校卒業後は祖父の勧める

測量の専門学校に進学

 

 

 

卒業後に法律事務所で

働きながら

法律の専門学校に行った

 

 

 

 

 

 

私は小さい頃から父に

「30歳まで学校に行っていい」

と言われていた

 

 

 

父の許可があったから

博士課程まで進学できた

 

 

 

もし「女は大学にいかず働け」

言われていたら

進学はしていなかったと思う

(現実にそういう女性は多いと思う)

 

 

 

父は祖父に学費を出してもらえず

大学に行けなかったので

 

 

 

私を大学に行かせることが

父にとっての愛情だった

 

 

 

父の子供への愛情

 

●食べ物を与える事

●学校に行かせる事

 

 

 

実家のごちそうは、お寿司

 

 

 

私が父と同性の、「男」だったらもっと批判された思う 

 

 

 

私はたまに考える

 

 

 

もしも私が男だったら

父の嫉妬で大変だったと思う

 

 

さらに生きづらい人間

だったと思う

 

 

 

 

 

 

父が手にできなかった学歴や

法律の専門職を手に入れたら

すごく批判されたと思う

 

 

 

もしも父のなりたかった

司法書士や弁護士になったら

父は「自分の子育ての業績」として

親戚や知り合いには自慢する

 

 

 

だけど子供である私(男)

を認めたりはしない

 

 

 

「お前なんて、まだまだだからな」

 

「誰のおかげで今のお前がいると思ってるんだ」

 

「お前のこの仕事、ミスしてるぞ」

 

 

 

ミスは指摘、成功は認めない

実際、ありそうな話ですよね…

 

 

 

私も博士論文渡した時

研究が自己満足だという事と

誤字脱字しか言及されなかった

 

 

 

 

 

 

自分が親にしてもらえなかったことを

自分が子供に提供するとき

嫌なのか、うらやましいと思うのか?

私は疑問だった

 

 

 

これも、親へのトラウマが解消されると

自分を育てた親の限界を理解できて

子供に対しての嫉妬は緩和されると思う

 

 

 

父に許可されたから進学できた 

 

 

 

私が通っていた高校は公立の進学校

 

 

 

同級生には、成績が優秀なのに

家の経済状況で、

大学には進学しない

と決めている子もいた

 

 

 

私は高校生の時、劣等生

高校生の時に父が癌になった

 

 

 

だから本当は早く自立して

父に負担をかけないために

就職した方が良かったのかもしれない

 

 

 

でも私は、父の反対もなかったから

県立の農業短大に推薦で進学した

 

 

 

短大生の時は農業実習、実験の日々

学校では作業着か白衣だった

 

 

 

私は、ただラッキーで

父が癌でも生きていてくれて

好きな研究に出会えて

大学院に進学できた

 

 

 

専門分野を「父親軸」で決めた 

 

 

 

専門分野についても

私は「父親軸」で決めました

 

 

 

父に反対されない分野

=農学系

 

 

 

反対されたら進学できなかった

 

 

 

 

 

 

私の母が大学の国文学部を卒業して

教員(国語)と司書の資格があるけど

資格とは関係ない事務職をしていたから

 

 

 

父は私に

「文学系に進学しても食えない」

と、言い続けました

 

 

 

母が父より学歴が高い

のも嫌だったと思います

母の専門分野を否定しました

 

 

 

 

 

 

国語の先生になりたいという憧れ

は捨てて、農学系に進学しました

 

 

 

私の高校以降の学歴 

 

 

 

話が分かりやすいように

私の高校以降の学歴を書きます

 

 

 

●県立の農業短大18~20歳

 

※これが母の引きこもり期間で

学校では明るく過ごしてたけど

ずっとモヤモヤしながら生活してた

 

編入試験は現役の時は不合格タラー

1年浪人して翌年合格した

 

 

 

 

 

 

●県立の大学に3年次編入

 21~23歳

 

 

●国立の大学院(修士)

 23~25歳

 

 

●私立の大学院(博士)

 25~29歳

 

 

 

実際に29歳まで

学校に行ってしまったので

「訳が分からない研究してないで

 早く就職しろ!!」と

父からは批判されてました

 

 

 

「私は存在してていい、役に立つ人間」と、思いたかった 

 

 

 

そもそも「私には何かが足りない」

という欠乏感って、学歴とは別物

だったんだなと今では思います

 

 

 

 

 

 

だって、学歴は関係なく

人生楽しんでる人は沢山いる

 

 

 

逆に、私みたいに

学歴を高めちゃったけど

自分に欠乏感がある人もいる

 

 

 

学歴も専門分野も

自分に対しての欠乏感

には関係なかったネガティブ

 

 

 

社会に出る時に

父や母が言っている「世間の人」に

見下されないようになりたかった

 

 

 

「私は存在しててもいい

役に立つ人間だ」と

思いたかった

 

 

 

 


 

でも、現実には

 

 

「私は役に立たなくても

生きているだけで

存在しているだけでいい」

 

 

と、親のトラウマを解消してから

36歳でやっと理解できた