今日は携帯電話のメモを見ていたら、数ヶ月前にやってきたエネルギーを書き残したメモが出てきました。
今日はそれを貼り付けておきます。
【 人間は個となって世間の条件から独立し、自分の自由を獲得することで初めて全体意識(ユートピア)の秩序への参入が可能となる。
全体意識は自由そのものの秩序で運営されているので、全体意識に参入する(ユートピアで生きる)ためには自分自身の中に自由を構築し、全体意識の秩序に同調・反映しなければならないからだ。
生命は人間となることでその(自由の)学びの第一歩を踏み出した。
先ず人間には *正邪善悪のどの道を選んでもよい選択肢として自由が与えられた。
自由とは自己を確立するための第一歩である。
人間だけに自由意思が与えられた。
それは人間は動物と違って思考能力が与えられており、善悪を考え人為的に作り出し、それを経験しながら、非人為的道である正邪(正しい・正しくない)への道にたどり着く能力があるからだ。
それで神様は人間に自由を与えてくれた。
そして人間にとっては残念なことと思えても、はじめは(人間から見た)悪い道を選択することが既に判っていた。
自由を司る愛、和を司る愛を理解していない状態で人の魂は学びの大海原へと旅に出るからだ。
人間の魂は終局的には一極を目指しているが、一極という絶対の世界を知るためにはその対比の世界を経験しなければならない。
それは幻想なのだが、愛という実在である「真実の一極」を知らない人間は、対比しているもうひとつの「幻想の一極」に身を置いて幻想を追い求めて苦しみを作り出してしまう。
三次元世界という肉体の世界で幻想の中でどっぷり浸かり、脳が織りなす思考に嵌まって幻想の自分を演じている。
幻想の次元にいる幻想の自分を本当の自分と勘違いして。
肉体の命にしても、三次元にあるものはすべて永遠ではなく、命に限りがある。
限りある命を求めることで「執着」が生まれている。
しかしそれは、真実の愛を取得するための修行を為していることでもある。
それが今の地球人の実態である。
今の人間の苦しみは、その学びの延長線上にあり、幻想の一極から離れることのできない人間で溢れ、満ち満ちている。
氣づけよ、学びの道の意味に。、氣づきがなければ何も始まらない。
氣づきよあれ。氣づきが始まりのすべてである。 参考記事(* 「良いこと」と「正しいこと」の違い ) 】
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自分が取ったメモはかなり難解なものだったので、読みやすく少しだけリライトしました。私が大我とも呼ぶ全体こそが私たちの人生をプランして、設計して、青写真を描きました。
ですから私たちは創造主のシナリオである意思を汲んで人生を演じなければなりません。
「それでは私たちには自由がなくて、創造主にしか自由がないではないか?」
と、思うかもしれませんが、そう思ったあなたは自分が創造主の一部であることを忘れています。
人間には自由意思がありますが、人間には正しいことは分からないのです。
だから人間の中だけで思考し、判断しても良き結果は出ないのです。
正しいことが分かるのは創造主だけです。
だから私たちがするべきことは、今を生きることです。本当の自分を生きることです。
それは本当の自分の意思、人生の創造主の意思を汲むことです。
それを「今を生きる」と言ったり「あるが侭を生きる」と言ったり「本当の自分を生きる」と言ったりするのです。
またそれを「全体の意思に委ねる」という場合もあります。
創造主の意思と私たちの意思は本来一つでなければならないのです。
何故なら私たちは十字架において神とも隣人とも既に一体だからです。
しかし私たちはずっと長い間、創造主の意思に歩み寄らず、マインドの意思と願望だけで思い通りの人生を設計し、私たちの人生をコントロールしてきました。
私たちには創造主の全体の自由とマインドの自由のどちらも選択する自由が与えられたからです。
マインドの自由を選択した私たちは、マインドの自由を実現するために家族や友や組織の部下をコントロールするだけでなく、自分の人生もコントロールしてきました。
今も毎日毎日思考をして、思い通りの人生にしようとあらゆるものをコントロールしようとしています。
しかし私たちの人生は本来、コントロールの必要なきものなのです。
私たちが自分の人生をコントロールしようとしたとき、私たちは大いなる意思に背を向けているのです。
本当の自分の声に背を向けているのです。
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