いつもご訪問有難うございます。
一昨日はいつもより200名ぐらい多い900名超えの方にご訪問いただきましたので、何かあったのかと詳細を見てみましたらこちらのサイトから148名の方が当サイトに訪れていただきました。
それと1年近く前の記事なのに、ここのところ数カ月、毎日「人工中絶の真実知ってますか」の閲覧者がとても多いです。
昨日も50名の方に御訪問いただきました。
これも偶然でなく、何かの流れなのか?
今一度、子宮頸がんのワクチンは危険であることを警告しておきましょうか。
http://blog.goo.ne.jp/tobira2002/e/70248970d8848cb48da74081a03ea0ab
子宮頸がんとgooで検索すると、
ワクチンが危険とのサイトは下記ぐらいです。
http://www.thinker-japan.sakura.ne.jp/hpv_vaccine.html
一般的にはまだまだ認識が薄いのですが、日本でも14歳の子が亡くなって、アメリカでは30人以上の女子が亡くなっています。
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/0bfae2f6d8e8441b8e65a610538e005c
そもそも子宮頸がんはセックスしなければ感染しないので、12歳―14歳の摂取は本来必要ないでしょう。
というか20歳だってセックスの経験なければ必要ないのです。
いつセックスしても心配ないようにとしたとしても常識的には12歳―14歳は必要ないでしょう。
「近々セックスする予定の人は手を上げて・・ はい、その人たちはワクチン打ちます」
と聞けないからみんなに摂取させようとしているのでしょうか?・・ 判りませんが、ともかくこのワクチンは危険ですから絶対に摂取は止めましょう。
不妊になってしまう可能性が大なのです。
この少子化の日本で更に闇の勢力による少子化政策、日本売国政策が進んでいることは間違いないことでしょう。
Clickしてね
昨日の記事に多少関連しますが、今まで自分の良心とか本当の私とかいうとき、自分の魂を連想していたところもあります。
ただ最近、無の境地という感覚で本当の自分を捉えるようになると、どうも魂というイメージがピンと来なくなりました。
本当の自分 ― 魂 ― 個的意識
本当の自分 ― ? ― 全体意識
何か魂といういままでの観念では割り切れない全体意識の自分というものを感じます。
自分を含めた全体を見渡すところの、やはり「自分の意識」なのですが、何か違う。
魂としての自分が全体意識と繋がって、全体意識に紛れ込んで自分を観ているのか?
本当の自分とはそもそも魂を超えたところの全体意識として在るのか?
言葉の伝達である以上はどうしてもそういう概念的な共通の理解というものが必要ですが、出来るだけこれからはこういう理屈を超えた理解、形而上の理解というものが必要になるように思います。
いずれにせよ考えている自分は、個我の自分の世界にいる自分であり、全体を常に感じながら自分の生活を送るという意識・行動形式こそがユートピアでの生活基盤であると思います。
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今日は三井の温熱療法でクライアントさんに背中に注熱しているときに瞑想していただきました。
スピリチャルなことに興味のある方でしたので素直に聞いてくれました。
そして熱い!という時はその熱さを何も考えないで見詰めて、観てください、観じてくださいとお願いしました。
いつもは施術しながらお話しするのですが、今日は沈黙。
施術が終わってから、いつもは注熱中にいろんなことを考えていたと振り返られました。
良い瞑想ができたようです。
熱という字を思い浮かべたら熱が体中に広がって身体の中に溶けだしていたと言われました。
これが作られたビジョンか、何も考えないで暗闇を見詰めていたときにやってきたビジョンかが重要です。
瞑想というと考えないことが難しいので、意識的に光が自分に降りてるイメージなどを積極的に作る場合が、ニューエイジのワークショップなどでは良く行われますが、結局イメージを作るということは「思考する」ということで「無になる」のとは違ってしまいます。
またお腹への注熱時は目をつぶって真っ暗闇を見詰め続けててくださいとお願いしました。
そうすると色々なものが見えてきますから、それをじっと見つめてくださいと。
それが色々な形に変わっていったり、別のものがやってきたりす筈です、と言いました。
終わってから、暗闇に色々なものが見えたようで、その変化を語ってくれました。
目を開けていても瞑っていても見詰めるという集中力は、無思考の時間を作ります。
ともかくユートピアへの移行が近づいている今、考えない瞬間、本当の自分と共にいる時間を生活環境の中に常備することが必要です。
「自分の意識の時間に居る」のではなくて「全体意識の時間に居る」という時間設定のプログラムを自分自身で組まなければなりません。
病も最後は自分でケリを付けないと、全快はしないのです(特にカルマが元の場合は絶対)。
それには常に自分の個我のポジションから離れて全体を観る意識設定が必要なのです。
瞑想しているときだけではなくて、起きて活動している時も、常に全体意識を意識していたいものです。
参考記事:
「アチッ!が、無を作る」
「目と目を見詰め合って」
「病の最後はやっぱり自分の責任」
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初めてご訪問の方は「真実の扉」ホームページにも是非お立ち寄りくださいませ
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