幸せとは何でしうか。
・もっとお金持ちになって、
・もっと権力を持って、
・もっと人から好かれて、
・もっときれいになって、
・もっと人との競争に勝利して、
・もっと出世をして、
・もっと人から評価されて、
それが全部満たされたとき、私たちは幸せでしょうか?
先ず忘れずにClickしてね
いえいえ、決して幸せではありません。
これらは全部、自分ではないからです。
いつかは朽ち果てる肉体にまつわる自分ではあるけれど、永遠に存在続ける自分、本当の自分が望んでいることではないからです。
ですから本当の自分は満足していません。
本当の自分が満足しない限り、至高の幸せとは言えません。
私たちは意識の進化の為に生まれてきました。
意識の進化とは何でしょうか。
上の願望が叶ったら私たちの意識は進化したのでしょうか?
していません。
エゴである個我は大いに満足するのですが、心の奥にある永遠の存在である本当の私は満足できません。
意識の進化は一体であり、上の願望はすべて分裂だからです。
個我の満足だけで年が過ぎ去ると必ずトラブルが起きます。
本来の自分のポジションが分からなくなっているので、修正環境が設定されるのです。
もっと自分の深い意識から自分を観察できるように、謙虚な自分に立ち戻るような環境設定がなされるからです。
「私たち」は元々は一体の「唯一不変の私」でした。
しかしより進化するために唯一不変の私は、私たちという分裂を選択しました。
私は宇宙で唯一の生命
私たちは、私の意思によって分裂し、私たちを分裂の幻想として作り出しました。
私たちは分裂の幻想に気づいて、自分の偽りの部分を知って、それを観察して学んでいます。
悲しんで動揺している自分がいて、それを観察している自分がいます。
その自分、謙虚で大らかで純粋無垢な自分のエネルギーを感じることができます。
一度感じたら覚えておくことができます。
その色を、その臭いを、その感触を、それがいつも見守ってくれているのが、本当のあなたのエネルギーなのです。
本当の自分に、偽りの自分が繋がった時、新たな英知が生まれます。気づきが起きます。
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今、オリンピックが始まろうとしています。
スポーツを通して強靭な肉体と心を作る。強い意志を作る。
相手の弱点を研究する。勝利に向けて一所懸命に相手の弱点を研究して行く。
そういった努力、それ自体はとても前向きで大切なことなのかもしれません。
生きていくことには強さや研究心、粘りや根性といったものも必要かもしれません。
しかし大切なことは動機です。
そこに執着や自分が注目を浴びたい心があれば、それは分裂を強めていることになります。
スポーツ競技は上述した強い生命力を作ることがあるかもしれませんが、何もそれは分裂の中でしかできないものではありません。
本当に人間にとって前向きな姿勢を保ちながら、分裂ではなくて調和の方向で強い心を育むことは可能なのです。
業績とか、結果とか、名声とか、高い評価とか、そういったものは何の価値もありません。
今の地球に於いて、スポーツ競技はあるべくしてあるもので、それを否定する気はありませんが、自分の心であれ何であれ、その動機・目的は何で、どのような心の状態を作り出しているか、ということを観察することで初めてその存在意義もあると言えましょう。
勝利の中で敗者への思いやりが芽生えて敗者の悲しみを理解して、敗者に歩み寄って健闘を讃えたりする心が養われれば、それはそれで進化へのスポーツの存在価値があると言えるでしょう。
進化とは自分と全体の調和が大切であり、チームプレイであれば個人技とチームワークとの波動調整ということも学べるわけで、その点でも価値は考えられます。
しかし、それと同時にスポーツ競技というもの、その勝敗というものはすべてが相対的なものであり、比較の結果として表されたものであります。
勝敗や結果の評価に対して思いが行くことは、人間が勝手に羨みや執着、差別、憧れなどのエネルギーと繋がったものと言えます。
オリンピックやワールドカップが作り出す闘争のエネルギーは、愛と調和の波動に影響を与えます。
私たちは「念波」ということの影響力に対して無知すぎます。
闘いに勝利したいという波動のエネルギーは分裂のエネルギーを強めます。
勝利とは自他の優劣の差を付けるといことですからそれは自明の理です。
勝利の栄光は、もう一方を劣勢の敗者と位置付けることです。
或る意味、分裂を称賛していることであり、個我であるエゴの喜びなのです。
スポーツ競技をすることを否定はしませんが、そのような道理が潜んでいることを知った上で行うことをお勧めします。
愛とは自他が一体になることです。イエスが言った「自分を愛するように隣人を愛する」ということです。
自分だけを愛することは愛とは言わないのです。
男が女を愛する恋愛、女が男を愛する恋愛、これも愛ではありません。
愛とはすべての枠と制限を取り払い、すべてを自分として受け入れることです。
愛の反対は恐怖です。恐怖とは分離しているとの錯覚が元でもたらされる意識状態です。
分離の幻想が他を警戒し、自己への執着心を強めるのです。
恐怖とは自己への執着心です。
ほとんどの地球人は愛とは何かということを理解していません。
愛があればすべての恐怖心は存在しないということを。
愛とは自他一体であるということを。
それを学べるのなら、ワールドカップやオリンピックの存在意義も有ると言えるのです。
ワールドカップやオリンピックがの存在意義は、その存在から湧き上がる人類意識の実態を分析し、闘いという分裂でなく調和という和のエネルギーの本質を理解することです。
本当の幸福の本質を理解することです。
地球人は分裂(エゴ)を好み、分裂が当たり前だと思っています。
だから自分を分析しません。
当たり前のものを分析する必要はないし、そもそも個我の存在意義は分裂なので、分裂を好んでいて調和を望んではいないのです。
分析の意味は何故自分が他と一体になれないのか? を理解することです。
自分の中の混乱や闘い、寂しさ、物足らなさ、貪欲さ・・ これらの意味を探ることです。
しかし分裂を肯定していると自己分析は必要なくなってしまいます。
だから進化は滞るのです。
勝ち負けは常に自分の中で完結しなければなりません。
自分の敵は自分の心の中にあります。自分の外には皆無です。
オリンピックを観てください。楽しんでください。
そしてその時に自分の歓喜や落胆の意識に注目してみてください。
スポーツにのめり込んでいる自分の意識というものを観察してみてください。
自分の中の愛でない部分、分裂意識に注目してみてください。
自分にとって楽しいのもは何なのか、自分の喜びの源は何なのか?
それを観察してみてください。
決してオリンピックを楽しんでいる自分を否定しないでください。
ただ自分の心を観てください。
自分を観察することに喜びを見いだしてください。
あなたには愛かあるのですから、自分を知ることの喜びを知る筈です。
このようなことを書いているとここに寄ってくれる人も減ってしまうかもしれませんが、自分を偽ることはできません。
このブログに立ち寄っているあなたなら、敗者の無念や落胆、悲しみのエネルギーにもきっと思いが行くはずです。
みんなの思いが繋がっていることを知っているあなたなら、勝利の喜びだけに現和(うつつ)を抜かさないことでしょう。
新しい地球にはスポーツ競技など存在しませんが、今の地球は古い地球の延長線上にあり、皆さんの心もまだ古い地球のエネルギーに満ち満ちています。
この聖典と呼ばれるお祭りを、自分の個我の心を観る良きチャンスとしてください。
本当の自分のポジションに立ち戻って、成長のために現生に持参してきた個我を観察して、自分の成長へと結び付けてください。
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