7月3日には10年前に出版した本の内容から転載しましたが、真理を「やってくる」との表現で用いていますが、それは自分が地上に居て、そこにアイディアが真理としてやってくるという感じを受けた訳です。
しかしどうも、今の私には、純粋で混じりけのない、純白無垢な本当の自分の意識に足を踏み入れていたという感覚に変わり始めています。
それだけ本当の私が身近に感じ始めたということかも知れません。
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動物に聞いてみたわけではないので、余り知ったか振りは出来ませんが、「人間は考える葦である」とのパスカルの格言があることから逆説的に窺えば、動物には思考という能力がほとんどないに等しいと言えます。
だから自然界の動物には病気というものがありません。
その逆に人間の頭の中は、思考空間で満たされ、常に思考に支配されているように思います。
だから人間はみんな病気になります。
思考があるということは、そこにエゴが、思考からくる欲があるということです。
それがストレスを作ります。
欲には二つあって本能的な欲と思考的な欲があります。
前者は食欲、睡眠欲、後者は支配欲とか金欲です。
動物にも猿のボス社会のように一見、支配欲があると思われますが、これは本能から来ています。
猿には民主主義はできないのでボス社会を構成するような本能が創造主より注入されています(もっとも民主主義は最善の秩序体系ではない)。
性欲にしても食欲にしても人間には際限がありません。
人間は本能+思考というパターンがほとんどで、思考によって自分の行動を決め、それに基づき欲のエネルギーで社会秩序の運営をしています。
本能という制御意識と、潜在意識を含めた思考で人間社会は運営されています。
しかしもうひとつ、人間にはそれに加えて、純粋無垢なあるがままの自分という掛け替えのない存在と繋がっています。
繋がっているというか、それが本当の自分なのです。
思考する人間から観れば、本当の自分へと戻れる空間に私たちは繋がっています。
本当の自分のいる空間・次元があるのです。
言葉にするのは難しいですが、それが真理がやってくる自分の大元の意識です。
動物の生態は本能のお世話になりっぱなしで、思考的欲がなく、悪いことも本来何一つ行いません。
獲物を狩り命を奪うのも神様がDNAに与えた本能故であり、悪ではありません。
人間には本能と思考がありますが、本能が思考に毒されて悪行を働きます。
そして気づいていませんが、本当の自分の意識がそれを観ています。
人間がもし、本当の自分とは自分と思っている今の自分ではなくて、別に存在していると知ったら、本当の自分と繋がろうとします。
私がそうであるように。しかしみんなそれを知ろうともしないで思考に支配されています。
思考している自分は本当の自分ではないこと、欲しい欲しいと思っている自分は本当の自分ではないこと、それに気づいた時点で人は本当の気づき、本当の進化へと進みます。
思考に乗っ取られている自分からの解放、それこそが人類に迫られている命題なのです。
だから本当の自分に立ち帰るという時間を少しでも持つようにしたいものです。
何も長時間瞑想をすることもないのです(したほうがしないよりは良いですが)。
本当の自分を求める「自分探しの旅」などの言葉が一時流行りましたが、求めると言ってもそこには強引さは必要ありません。
強く求めることは欲に繋がります。
淡々と泳いでいけばいいのです。
もっと良いのは身を任せてただ流れていくことです。
ボーとして頭の中を空っぽにする癖を付けることです。
そういうコツを早く覚えて、そんな空間に日に何度か浸ってみることです。
このように書いていると、私は思考を否定しているように思えるかもしれませんが、決してそうではないのです。
先ず考えることがなければ方向性が定まりません。
思うところがあったら Clickしてね。。。
初めてご訪問の方は「真実の扉」ホームページにも是非お立ち寄りくださいませ
しかしどうも、今の私には、純粋で混じりけのない、純白無垢な本当の自分の意識に足を踏み入れていたという感覚に変わり始めています。
それだけ本当の私が身近に感じ始めたということかも知れません。
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動物に聞いてみたわけではないので、余り知ったか振りは出来ませんが、「人間は考える葦である」とのパスカルの格言があることから逆説的に窺えば、動物には思考という能力がほとんどないに等しいと言えます。
だから自然界の動物には病気というものがありません。
その逆に人間の頭の中は、思考空間で満たされ、常に思考に支配されているように思います。
だから人間はみんな病気になります。
思考があるということは、そこにエゴが、思考からくる欲があるということです。
それがストレスを作ります。
欲には二つあって本能的な欲と思考的な欲があります。
前者は食欲、睡眠欲、後者は支配欲とか金欲です。
動物にも猿のボス社会のように一見、支配欲があると思われますが、これは本能から来ています。
猿には民主主義はできないのでボス社会を構成するような本能が創造主より注入されています(もっとも民主主義は最善の秩序体系ではない)。
性欲にしても食欲にしても人間には際限がありません。
人間は本能+思考というパターンがほとんどで、思考によって自分の行動を決め、それに基づき欲のエネルギーで社会秩序の運営をしています。
本能という制御意識と、潜在意識を含めた思考で人間社会は運営されています。
しかしもうひとつ、人間にはそれに加えて、純粋無垢なあるがままの自分という掛け替えのない存在と繋がっています。
繋がっているというか、それが本当の自分なのです。
思考する人間から観れば、本当の自分へと戻れる空間に私たちは繋がっています。
本当の自分のいる空間・次元があるのです。
言葉にするのは難しいですが、それが真理がやってくる自分の大元の意識です。
動物の生態は本能のお世話になりっぱなしで、思考的欲がなく、悪いことも本来何一つ行いません。
獲物を狩り命を奪うのも神様がDNAに与えた本能故であり、悪ではありません。
人間には本能と思考がありますが、本能が思考に毒されて悪行を働きます。
そして気づいていませんが、本当の自分の意識がそれを観ています。
人間がもし、本当の自分とは自分と思っている今の自分ではなくて、別に存在していると知ったら、本当の自分と繋がろうとします。
私がそうであるように。しかしみんなそれを知ろうともしないで思考に支配されています。
思考している自分は本当の自分ではないこと、欲しい欲しいと思っている自分は本当の自分ではないこと、それに気づいた時点で人は本当の気づき、本当の進化へと進みます。
思考に乗っ取られている自分からの解放、それこそが人類に迫られている命題なのです。
だから本当の自分に立ち帰るという時間を少しでも持つようにしたいものです。
何も長時間瞑想をすることもないのです(したほうがしないよりは良いですが)。
本当の自分を求める「自分探しの旅」などの言葉が一時流行りましたが、求めると言ってもそこには強引さは必要ありません。
強く求めることは欲に繋がります。
淡々と泳いでいけばいいのです。
もっと良いのは身を任せてただ流れていくことです。
ボーとして頭の中を空っぽにする癖を付けることです。
そういうコツを早く覚えて、そんな空間に日に何度か浸ってみることです。
このように書いていると、私は思考を否定しているように思えるかもしれませんが、決してそうではないのです。
先ず考えることがなければ方向性が定まりません。
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