
目に涙
「脳死を疑え2」で、脳死者が母親の問いかけに反応して涙を流したケースを紹介しましたが、涙を流すというケースは他にもあります。ちょっと強烈な文書ですが、紹介します。
臓器提供者の臓器摘出シーンを撮ったもので1990年のアメリカのフィルムで「NHKスペシャル―脳死」で放映されたものです。泥酔した若者が吐いたものをのどに詰まらせ脳死と判定されました。切開されてむき出しになった心臓が大写しされ、大きく鼓動している心臓が摘出され、肝臓、腎臓、すい臓、リンパ筋、動脈が次々と取り出されました。以下は小松美彦氏の「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)より転載です。(ここまでの「脳死を疑え」の文書は明記がないものはほぼ「異議あり!脳死・臓器移植」を参考としました)
「お腹が縫い合わされる。すい臓の行き先はマイアミ、心臓の移植はもう始まっている頃である。
腹部を閉じ終わる頃、隣町のアイバンクのスタッフが現れた。両目から角膜を摘出するのだ。その摘出シーンでは、脳死者の額には汗が無数の玉となって浮き上がっている。目には涙があふれている(後略)」
心臓が取り出されれば死体であるので、額の汗や涙はそれ以前のものと推測されます。
一人のレシピエント(移植を受ける者)の裏には必ずこのようなドナーの存在があります。彼がドナーカードを持っていたかどうかは書かれていませんでしたが、持っていたとしたら彼はそれを心から後悔したことでしょう。問題はこういった事実の情報が私のように進んで本を読んだりしないと入って来ないということなのです。少なくとも受身的にテレビや新聞を見ていてもダメなんです。政治でも経済でも、本当のことはマスコミは言いませんし、移植医はもちろん都合の悪いことですから言いません。
しかし私が言っていることが正しいとも決まってはいないのです。決まってはいないのですが、「魚には触覚があっても痛覚がない」と人間が決め付けていても、本当のことは魚に聞いてみなければ判らないのと同じで、脳死者に意識があるか否かも聞かないと判らないでしょう。
それでも報告の数々から、脳死者には意識がある、痛みを感じている、ということを絶対に否定できる状況にあるとは思えないのです。脳死は死でない可能性がこれほど高ければ、やはり移植は止めるべきです。
そもそも昔から心臓の停止が最終的な死の判断だったのに、なぜ脳死を死の判断にしたのでしょうか。脳死を死と決めないと、心臓が動いている新鮮な肉体を利用できないからと考えます。殺人になってしまいますから法律の保護が欲しいのです。本音はそういうことでしょう。それと医師が余りにも血に慣れ過ぎ、死に慣れ過ぎているのにも一部の原因があるような気もします。
移植医ではありませんが、脳神経外科医の山口研一郎氏と脳死でお子さんを失った関藤泰子さんとの共書「有紀ちゃんありがとう(社会評論社)」で山口氏は「一般に脳外科という科は、もっとも重症で悲惨な状態の患者さんが運ばれてくる所であり、私たちはこれに慣れてしまい、マンネリ化してしまっている」と記しています。心臓外科医や移植医はそれ以上かも知れません。
レシピエントの将来
それととても大事なことですが、そもそも移植をするとどのくらい延命するのでしょうか。信じられないことにそういうデータが非常に乏しいのです。乏しいというか世界的にも皆無に近いのです。データ事態がないのか、あるが、そのデータを公表すると都合が悪いのではないでしょうか。
レシピエントにも都合の悪いことは教えないようです。移植後に免疫機能が他人の臓器を異物と感じて拒否反応を示すですが、これが起きないように免疫機能が働きにくくなる高価な薬を一生飲まなければならないのです。しかし長期的には「がん」などの発生率を高め、あらゆるウィルス(感染症)にも感染しやすくなります。そういうことを移植手術寸前まで知らなかった方もいらっしゃいます。「意義あり!」脳死・臓器移植〕(天声社)より(彼女は結局移植しなかった)。
アメリカの古いデータですが、貴重なデータがあります。その中に心臓移植を告げられてある一定の時期を限ると、心臓移植をしないほうが長生きしているという調査データもあるのです。
次回は先述した「脳死・臓器移植の本当の話」を引用してそれについて書いてみます。 ― つづく ―
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