前回の続きです。
短い時間で一気に文書を書き綴るということが出来なくなっていた私は、何度も何度も文書を推敲しないと良い文書というものは書けないものなのが当たり前だと思うようになってしまっていました。
そしてコピーライターのHさんと執筆について話をしていて、「文書は、何度も見直して手を加えないと良い文書に仕上がらない」ということで彼と合意し、話が盛り上がりもしました。
ところがその2日後に、1月28日のブログに書いたエネルギーが私にやってきたのです。
1時間ぐらいの間にそのエネルギーを文書にまとめたのでした。それはその後に書き直そうとしても、ほとんど手を加えることが出来ないものでした。「てにをは」を正すことはしましたが、推敲なるものはしていないのです。
私は「やっぱり本当はこれかな」と思ったものでした。
ただ、頭を使って構想を練って、ストーリーを考えながら書き綴る場合と、ほとんど直観的にエネルギーを受け入れて書き綴る場合とでは、そもそもまったく異なる創作の仕方になりますので、一概には言えないことであるのも事実なのですが・・・。
そしてそのまた2日後のことです。
Hさんと電話で頼んだパンフレットに付いて話をしていましたら、
「小金井さん(私の名前)、この4頁のパンフレットはアッという間に書けちゃいましたよ」「筆がどんどん進んじゃってね」「僕としては結構自信がありますよ」と言いました。
普段はカンプ(Comprehensive Layout--依頼された企画を印刷上がりのように具象的に色付けして表現したスケッチ見本)を見せるまでは内容を話したりしない人なのに、自分からいろいろと話し始めたほどでした。ちょっと興奮しているような感じが伝わってきました。よっぽど珍しい体験でもあり、自信もあったのでしょう。さらにこう付け加えました。
「僕としては今回の出来は結構自信がありますよ」「見てもらうのが楽しみだなぁ・・」と言うのです。
彼はまた、ほとんど書き直しなんかしないでぴったりと嵌ったというようなことも言っていました。2日前の私と彼との会話では、良い文書は何度も推敲しないと書けるものではない、などと言ってお互い納得していたことなどはすっかり忘れてしまっているようでした。
私も面白いストーリーが彼のカンプの中で展開されているような気がして、ウキウキした気分になってきました。
『文書は何度も推敲して手を加えていかないと良いものには仕上がらない』ということを二人で確信したように語った後ですぐ、それとは逆の*現象が二人同時にやって来たということです。
彼に依頼したパンフレットは、ダイレクトメールのレターとパンフでしたが、レターは私が書き、彼が「てにをは」的に少し手を入れて仕上げます。
私が簡単にプレゼンして写真などの材料を渡し、パンフは私が書いたそのレターに基づいて彼が構成をし、仕上げるというものでした。
そして彼が制作したパンフのカンプは、私の意図を充分すぎるぐらい汲んだ素晴らしいものでした。これまで彼に依頼して来たパンフや新聞・雑誌広告は延べ50以上にも及びますが、出来栄えはこれまでの1~2を争うものでした。
これは、私がよく言うところの共同創造(co-creation)の体験ということができます。
天は、その証をある奇跡的な現象を示して置いていってくれるものです。それに気づくと成功への自信が湧きます。
*このようなことは多かれ少なかれ、大小はあれ、誰でも起きているのですが、気付かない人がほとんどです。だから、神を信じることができる人が少なくなってしまうのです。実際に私はシンクロに気づいていますが、彼は気づいていません。
それと私の経験からは、ハッキリと奇蹟だと分るようなことは余り起こしてはくれず、気づくスレスレの現象がやってくることが多いです(それによって人はより繊細に出来事の背景に繊細に意識を向ける)。それもその人の進化状態によって、奇蹟の度合いが違ってきます。
しかしともあれ、私たち二人の間では、三次元だけでなく四次元の世界での魂の意思疎通が既に行われていたのです。それに私たちに関与している目に見えない存在の働きも当然起きています。
この背景にある力、サポートを感じないと、創造はすべて自分でしていると感じて、その自信は自惚れへと流れがちになります。神との共同創造と分ると、謙虚さを保つことができます。
私は私のガイドから、そういうことだと直接聞いているわけではありませんが、今までの経験から、自信をもってそう言うことが出来るのです。ここに書いていないことを含め、以前から私たち二人の会話や出来事が、そういうエネルギーに満ち溢れていることを充分すぎるほど感じることが出来るのです。
それと、あまり公表したくなかったのですが、私は昨年の夏からちょっと鬱のような状態になっていました。初めは更年期障害かな?とも思ったのですが、20年精神安定剤を飲んでいる私の親しい同僚が、私の状態を聞いて「それは更年期ではなくて鬱だよ」と診断しました(笑)。
予断ですが、私は医者に通うほどの症状ではありませんでしたが、当社が連結決算する関連企業で働く社員はあわせて1500人にも上りますが、休職している者、時々でも通院を必要としているほどに精神を病んでいる者を併せますと、何と、その1割もいるのです。
それで自分の状態を含めて、そんな話をH氏にしましたところ、実は彼も夏の終わりから鬱状態が続いていて何もやる気が起きないと言うではありませんか。遅い夏休みを取ってひとりで海外旅行に行ってから欝は始まってしまったと言います。そんな告白をお互いがしたのが昨年の10月頃でしたが、二人共に年末には時を同じくして元気を取り戻したのでした。
このような流れも彼と私との縁を感じる出来事となります。年齢もひとつ違いで、お互い初めての鬱的経験で、性格も割りと似ているなど、共通のことや偶然が重なります。
最近の一連のメッセージに「繊細であれ」とありましたが、こういう流れを自分の中を流してしまうのではなく、その流れの意味を冷静に考え、受け止めようということでもあるのです。
私の経験からはこういう流れを作り出しながら進んでいる仕事というものは、だいたい成功します。ただ、私がここで公表してしまったことが現実化に多少影響を及ぼすこともありますが、ここで書くことをも前提として現象が起きている場合には、書いたことでさらに仕事は成功の運びとなります。今回は書くこともエネルギーの流れに入ってるような気がしますのでだいじょうぶだと思います。
良い結果が出れば、また報告します。
私は自信というのは、このような流れを感じ取って、流れが現実化したときには大いに深まるものだと思います。そしてこれを繰り返すほどに、自信は漲り、神への信頼も高まるものです。
また、奇蹟は(1/28)のメッセージにも関連しますが、大きな奇蹟は誰でも分りますが、こういう気づくか気づかないかの小さな奇蹟の理解こそ、大切なものなのです。
だから、出来事には「繊細であれ」なのです。
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