石垣を組むことができないのならば他の仕事をさがすしかなく、すぐに生まれ故郷の町に戻ることにした。
私が家に帰ると、意外なことに町をあげての大歓迎を受けた。町の人たちは誰も皆貧しい暮らしをしていたが、かなり無理をしたのではないかと心配するほどの豪華な食事が用意されていた。そして町の人たちが総出で踊りを踊り、歌を歌った。
長者が近寄ってきた。
「あなた様は神様にも等しい御方です」
「いえ、とんでもない」「私はあなた方と同じ普通の人間です」
「いえ、私ははっきりとこ目で拝見しました」「あれは普通の人間にはとても真似なぞできないことです」「まさに神業です」
「やってみれば、誰にでも・・」
「いえ、そんなことは、とてもとても・・」「で、他の方々は?」
「あの人達は既に別の世界に旅立ちました」
「それでは、もう神の世界へ戻られたのですね」
私は別の世界のことは何も知らなかったので、返事はしなかった。
「どうかあなたさまだけでも、しばらくの間この町にとどまっていただけないでしょうか」「ご希望のものがありましたら何でも差し上げますので、どうかいろいろとご教授願いたいのですが」「私にできることでしたら・・」「それに私も若い人たちにあのような石垣が組めるような技術を取得してほしいものだと常日頃から思っています」
「ありがとうございます」「ぜひお願い致します」
その長者は上機嫌になった。
約束の時間に石の切り出し場近くの草原で待っていると、長者を先頭にして親たちが自分の子供を引き連れてきた。大人たちが見ていると子供たちの気が散ってしまい授業の邪魔となるので、すぐに町まで戻ってもらうことにした。
残った子供たちは皆落ち着きがなく、私の言葉に耳を傾けることがなかなかできなかった。中には教えてもらおうとしている子供もいたが、ただ聞いたことを知識として頭に詰め込もうとしているだけであった。自分たちの子供のころと何かが違っていた。
石組みを作り上げたいという意欲や気迫は全然見られなかった。親から指示されたからここにきたという感じであった。私の言葉を言葉としてだけは理解しても、言葉の奥にある本当の意味を魂で理解することができず、また魂で理解しようという発想自体も出てはこないようであった。
私から教えられたことを脳の記憶に入れて覚えるだけであって、それだけで満足して安心していた。『何もしないことをする』ということができる子供はいなかった。この練習をさせても、我慢できないのか、それとも遊びと勘違いしたのかほとんどの子供が走りだし、追いかけっこを始めた。残りの子には「遊びはほどほどにして早く教えてくれ」とせがれた。
いろいろな方法を教えて説明してみたものの、この『何もしないことをする』 ということを理解してもらうことはついにできなかった。
私は諦めて、子のことを町の長者に報告した。長者は私の話を聞いて頷いた。
「やはり無理じゃったかのう」「普通の人間が神業の真似事をしようとは罰当たりのことだったかのう」
「いえ、私も皆さんと同じですから・・」「やる気さえあれば、できるはずです」「自分から真剣に求めさえすれば、道が開かれるはずです」
「それでは私にもできるというわけですかな?」
「ええ、もちろん」「ただし、生まれてから今までの間に構築されてきた固定観念というものを、自分の力で乗り越えなければなりません」「価値観の視点を変えるのです」「今までの価値観が邪悪なところから出てきたものでない限り、捨て去る必要はありません」「理解の幅を広げるということです」「今まで自分の考えてきた限定された世界の外に、様々な考え方があることに気がつき、それぞれの考え方を理解し、お互いに認め合うことが必要です」「今のあなたは過去のあなたの思考と行動から生まれた結果なのですが、その今までの積み重ねを無理やりに捨て去る必要はありません」
彼はしばらく黙って考え込んでいた。
「それではこうしましょう」「石の持ち運びを手伝っていただけるのでしたら、私が石を切り出しましょう」「ただし、石を運ぶ順番と積む順番、そしてその積み方は私の指示に従っていただきます」
「それは願ってもないことです」「ぜひお願い致します」
私は約束どおりに石の切り出しを始めた。石の大きさは、数人の力で持ち上げることができるように、以前よりも小さめのものを作ることにした。ある程度の数の石を仕上げておいてから、力のありそうな若者たちを選び運んでもらった。
運ぶときと積むときは、私がそれに付っきりで指示をした。このようにして、土止めのための石垣、建物の石垣、建物の石壁、石畳などを組んでいった。
― つづく―
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