
東京はようやく夏らしく夏ってきました。今日の絵は正垣有紀さんの「村祭り」
今日も自由と自由がぶつからない真の自由について考えてみます。
人間が自分の好きなことをしていて、人が住むその社会が一糸乱れぬ秩序を保つということはあり得るのでしょうか?
そんなことあり得ないと、諦めてはいけません。
地球社会は間もなく人類未曾有の大変革を成し遂げて、それが可能となるユートピア社会へと移り行きます。
自由と秩序について、人間社会の秩序構成をジグゾーパズルに譬えてみました。
ジグゾーパズルを思い浮かべてみてください。
ジグゾーパズルは初めにひとつであった形あるものを様々の形に分割し、それをごちゃごちゃにしてしまいます。それからあらためて再集合の意思を働かせ、現実化図ります。
元々ひとつだったものが分割され個となると、自分がどこにいるべきなのかが分からなくなってしまいました。
しかし、単なる物質である個々のパズルにはない意識が―それぞれが別の存在ではなくて元々ひとつなのだと知っている意識があります。そこから出(いず)る意思が、それぞれを元の位置に帰還させ、つなぎ合わせようと動くのです。その意思は、現実のパズル・ゲームの場合にはゲームを楽しむ人間のみにあるということになります。
以上はパズルと人間との関係です。
これを動物と神との関係に比喩してみましょう。
実際のジグゾーパズルでは人間の手が直接パズルの欠片を手にします。しかし動物には神があらかじめインプットした本能があります(HP『真実の扉』第5章 〈動物と人間との違い①②〉 参照)ので、神は本能を通じて動物と自分をつなげ、全体が調和とまとまりを保ちながらひとつに成るようにパズル(動物社会)は完成されます。
実際のパズル・ゲームでは、意思をもたない一片を人間の頭脳が手を動かしてひとつになるように完成させました。
動物の場合には主に本能を利用して身体を動かせました。
そして人間と神との関係では……。
すべてのパズルの一片(人間)の意思が、パズル全体を観るひとつの(神の)意思とつながっていると考えてください。
人間一人ひとりが元々私たちは一体であったと思い出し、自分たちは神であったと思い出します。
人の自由意思が神の意思とつながり神と成ったとき、行動(創造)は高次の共同創造となり、平和な社会秩序を成就するのです。
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