何か問題が起きたとき、私たちはまず人の所為にしてしまおうとします。しかし5月1日のブログでも書きましたが、私たちの前に現れてくる幸・不幸は、すべて自分絡みのこととして反映されて来ています。それが現実です。兄弟げんかから凶悪事件、政治家の闇献金まで、新聞などのマスコミを賑わしているもので自分の目や耳に入ってくるということ自体、それは自分絡みということなのです。それ自体、理由があって私たちに見せ、知らせてくれているのです。兵庫県の鉄道事故でも同じなのです。

 この度の福知山線の事故では、マスコミの報道では盛んにJR西日本の会社の体質と従業員の資質ばかりが問われているようですが、JR西日本だけが営利を追求し、そこにたまたま身勝手な人たちが多く就職したのでしょうか。
 私はそうは思いません。
 私たちの目や耳に入るという点では、一種私たち日本人の心の問題として反映され、日本人全体への警告として現れているとも言えるでしょう (ただ、事件現場として神戸の酒鬼薔薇事件、和歌山の保険金集団殺人以来、関西(西日本)周辺に様々な事件が多発していることも多少考慮しなければならないかも知れません)。

 日本の鉄道ダイヤが過密であり、しかも正確にそれを運用しているという点は、日本の誇る文化であることは間違いないでしょう。それは一面、日本人の几帳面さの現われでもあります。
 しかし一方で、世界の主要国と比べても、日々セカセカとした日常を送ることが習慣になってしまっているのも事実です。
 正確な秩序維持という意味では、それはそれで良いと思いますが、正確なのが当たり前であって、その秩序を守れない人を許さないという文化もあるようです。それゆえ私たちは他国では問題にならないようなちょっとした遅延に対しても駅員達に苦情を言ってしまうということも起きているのです。
 また、発車前に閉まる扉を無視して、場合によっては扉をこじ開けて乗車するということも日常茶飯事のこととして起きています。それが鉄道の遅れを多々招いていることも事実です。

 こういう私たちの心の反映として事件が現象化されていることに目を向けず、それ故に問題の原因をすべてJR西日本の体質として押し付けている限り、事件は留まることがないのです。予定されていたボーリング大会、旅行、飲み会の開催を、事件を知り勇気を持って中止しようとを提言できる人の方が、一般的に言っても少ないと私は思います。
 宇宙の法則から言えば、だからこそ、そういう心情を事件としてさらけ出してくれたのです。

 肉体を含めて、所謂三次元の現象(幻想)というのはすべて、スピリチャルな本質を反映させて、現象、事件の心の本質に目を遣ることを目的として作られている「宇宙の法則の秩序の体現」
です。 カルマのメカニズムもこれに当たります

 人は余りにもこの社会問題を、自分を含めた人間の心の問題として捉えずに、社会の形骸的な秩序のあり方に責任を押し付け、摩り替えて改善を図ろうとしています。
 技術的な操作で社会が充分に修復されるかのように意識を向けています。

 そしてたとえ、このように仮に心の問題として目を遣っても、それを他人事として片付け、加害者のみの責任に転換してしまう傾向があります。
 そして更に、加害者に責任を転換して、JR西日本の体質こそが従業員の心の質をも作り出した犯人かのように捉える傾向も見受けられます(ここにはJR系組合の責任転換の操作がある)。
 しかしどうでしょうか。人間の本質は生まれたときにある程度でき、親や友だちと接し、学校教育を経て決まるものも多々あり、決して就職した会社の体質でのみ構築されるものではないでしょう。それほど企業体質が人の本質までも豹変させるものでしょうか。
 問題は企業云々の以前に、人間の本質なのです(正確には本質を覆っている擬似本質としての心の本質 ― 厳密には心は幻想)。
 それ故に、企業を含めた社会全体の背景を見ないで、JR西日本の企業体質としていたのでは、あらゆる事件は後を絶たないのです。

 人は余りにもこの人間の(擬似)本質を自分のこととして目を向けず、幻想として現れる否定的な意識(エゴ)を他人事として片付けようとしています。

 時刻表を緩やかなものにするとか、日勤教育を止めるとかでも、事故の確率は確かに減るかも知れません。しかし本質を質さないと、別の事件として私たちの心の本質は現象化され、私たちの目前に現れてくることでしょう。

 JR西日本は、遅延やミスをした運転手などの職員に対する対策として「日勤教育」という社員にしてみれば「恐怖政治にも映る懲罰」を附していたとのことです。それがどの程度のものかは定かとは言えませんが、「愛の対極」でもある恐怖心を利用するやり方は、間に合わせ的には即効性があっても、良い体質を持った秩序運営を生むことはありません。
 マスコミなどを含めて、JR西日本を批判する現代の企業も多かれ少なかれ、そういう意識を煽って、人を操作し利用することで社会を運用しています。

 現在は、本来そういう意識を光の方向に変革する努力をすべきときなのに、その何倍もの労力を使って規制を定めたり、仕組みを考えたりしています。しかしそのような秩序で社会を変えようとしても、社会に恒久平和をもたらすことはできないのです。
 人の心が社会を作っているからです。社会が人間を作っているのではないのです。

 本来、いかなる混乱も自然現象です。

 本当の原因があって、その原因を是正するために必要な現象が反映として起きてくるのです。それなのに、不幸な現象の真の原因を視て直そうとせず、その自然現象が起きないようにと、規制を定めて原因が作動しないようにしているにしか過ぎないのです。

 政治なども同じで、日本政府はこれまで景気が停滞するとすぐに国債を増発したり公共事業を増やしたりしてきました。これが一番痛みを伴わずに楽で手っ取り早いからです。つまり病のもとを探さず、改善せず、薬や注射に頼ってきたのです。しかしこれでは病の体質は治るどころか徐々に進行し、長い目で見れば薬が徐々に身体を蝕んでいくことにもなりかねないのです。 これまで日本の政治はこのようなその場限りの対症療法ばかりをとってきましたが、これでは体質改善にはならないのです。現実に体質は変わらず、国債発行を繰り返し、莫大なツケ を国民に残してきました。
 「その場しのぎの対処を続けていたら、新しい地球建設の心の構造改革にはつながらない」というわけです。

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今日の写真は〝時さん〟の「田園風景」