「不食(人は食べなくても生きられる)」を著した山田鷹夫氏の中のHP(昨日のブログで紹介)中の「問答無用」をクリックしますと、Q&Aになっていて、そのやり取りが意味深で面白いです。人生は共同創造(Co-creation)の結果として現れていますが、それには自分を信じるということが大切なことをそれとなく示唆しています。
人生は自立(自己確立)して自分で作っている一方、目に見えない支援者達との共同創造です。目に見えない支援者とは、ひとつは三次元に生きる隣人やこれから出会う人の魂(無意識)たちで、もうひとつは宇宙人や肉体を持たない守護霊や天使などの支援者、所謂神様です。
人生は彼らとの共同創造です。自分を疑うということは、この協力者の力も疑うということで、それでは現実はうまく作れません。
さて、今日はジョージ・ルーカスの『インディ・ジョーンズの最後の聖戦』を譬えに神を信じる(「私は神」の観点からは自分を信じる)ことについて書いてみます。
ジョージ・ルーカスが制作・監督をする『スターウォーズ』などには、スピリチュアル的に観るといろいろなヒントが隠されています。特に『スターウォーズ・エピソード1』はよくできている作品でした。ジョージ・ルーカスの作品には21世紀に向けてのメッセージが多く入っています。
昔から伝わるイスラエルの智慧である神秘的伝統 ―「カバラ」の教えの図式である「生命の樹」は、多くのセフィロート(道)で構成されます。セフィロートはいくつかのトライアングル(三角形)を構成します。
最上のトライアングルは神の世界であるスピリットの世界のセフィラー(道)をもちます。神の「愛」のセフィラーである「ビナー」と、神の「意思」のセフィラーである「チョクマ」が左右にあり、最上に至高の三角形の頂上である「ケセル(クラウン)」があります(「セフィロート」は「セフィラー」の複数形)。
その下の三角形は人の(と言っても魂レベルの)愛と意思の世界です。カバラを学ぶ者が最後に神の愛を勝ち取りカバリストとなるには、神にすべてを託し全面的に神の愛と意思を信じることで最後の神への境界を超え、神のトライアングルへと進まねばなりません。その魂とスピリットとの境界に立ちはだかるのがアビスの河です。
アビスの河
ロッキー・マウンテン・ミステリースクールを運営するグッドニー・グドナソン氏によると、映画『ハムナプトラ2』の最後の場面でイムホテップ役の主演助演者であるアーノルド・ヴォスルーを飲み込んだ河は、アビスそのものもだと言います。アビスの河はいわば最後の審判の河です。
私がアビスを思うとき、思いだすひとつの映画があります。それがジョージ・ルーカス制作の『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』です。この映画の見えない橋を渡るシーンは、見ものです。ここでもアビスが別の形で現されています。
この『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』という映画は、永遠の命を得ることのできる聖盃を探すナチスに、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズとその父親を演じるショーン・コネリー親子が巻き込まれるという物語です。
物語の終わり近くで、聖盃のある入り口の近くでインディの父親が銃で腹を撃たれます。永遠の命を授かる聖盃で父親の命を救うためにインディに聖盃を取りに行かせようと、ナチスがたくらみ、インディの父を撃ったのです。
三つの試練
インディは、聖盃とそこに入れる泉の水を求めて危険に立ち向かいます。ところが、その聖杯のある場所に行き着くには、三つの試練のある関門を通り抜けて行かねばなりません。
それぞれの関門にはそれを抜けるためのヒントがあります。一つ目の関門を抜けるヒントは「悔い改める者だけが通れる」(反省するものが救われる)で、二つ目は「神の名を呼ぶ者だけが通れる」(神の存在を信じるものが救われる)です。この二つの難所を通り抜けたインディは最後の難所に向かいます。
先の二つはヒントの謎を解き、その通りに進めばよかったのですが、最後は違います。ヒントを解くことで得た答(論理的知識や情報)だけではクリアできないのです。神に全幅の信頼を置き、神と一体である自分を信じて進まねばなりません。
最後の試練を成し遂げるヒントは「ライオンの頭から跳躍する者だけがその価値を認められる」で、ライオンの彫刻を背にし、聖盃のある方に行かねばならない場面でした。ところが、その先は橋のない絶壁なのです。
腹を撃たれ、インディから離れ横たわる父親は苦しみの中で息子への想いをこう呟きます。 ― つづく ―
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「人気ブログランキング」に参加しています。上位に入ることで多くの人にこのブログの存在に気づいてもらい、世の中の真実、自分の真実についても気づいてもらい、一人ひとりが本当の自分を取り戻し、地球が愛と調和の地軸を取り戻すことを願っています。
人生は自立(自己確立)して自分で作っている一方、目に見えない支援者達との共同創造です。目に見えない支援者とは、ひとつは三次元に生きる隣人やこれから出会う人の魂(無意識)たちで、もうひとつは宇宙人や肉体を持たない守護霊や天使などの支援者、所謂神様です。
人生は彼らとの共同創造です。自分を疑うということは、この協力者の力も疑うということで、それでは現実はうまく作れません。
さて、今日はジョージ・ルーカスの『インディ・ジョーンズの最後の聖戦』を譬えに神を信じる(「私は神」の観点からは自分を信じる)ことについて書いてみます。
ジョージ・ルーカスが制作・監督をする『スターウォーズ』などには、スピリチュアル的に観るといろいろなヒントが隠されています。特に『スターウォーズ・エピソード1』はよくできている作品でした。ジョージ・ルーカスの作品には21世紀に向けてのメッセージが多く入っています。
昔から伝わるイスラエルの智慧である神秘的伝統 ―「カバラ」の教えの図式である「生命の樹」は、多くのセフィロート(道)で構成されます。セフィロートはいくつかのトライアングル(三角形)を構成します。
最上のトライアングルは神の世界であるスピリットの世界のセフィラー(道)をもちます。神の「愛」のセフィラーである「ビナー」と、神の「意思」のセフィラーである「チョクマ」が左右にあり、最上に至高の三角形の頂上である「ケセル(クラウン)」があります(「セフィロート」は「セフィラー」の複数形)。
その下の三角形は人の(と言っても魂レベルの)愛と意思の世界です。カバラを学ぶ者が最後に神の愛を勝ち取りカバリストとなるには、神にすべてを託し全面的に神の愛と意思を信じることで最後の神への境界を超え、神のトライアングルへと進まねばなりません。その魂とスピリットとの境界に立ちはだかるのがアビスの河です。
アビスの河
ロッキー・マウンテン・ミステリースクールを運営するグッドニー・グドナソン氏によると、映画『ハムナプトラ2』の最後の場面でイムホテップ役の主演助演者であるアーノルド・ヴォスルーを飲み込んだ河は、アビスそのものもだと言います。アビスの河はいわば最後の審判の河です。
私がアビスを思うとき、思いだすひとつの映画があります。それがジョージ・ルーカス制作の『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』です。この映画の見えない橋を渡るシーンは、見ものです。ここでもアビスが別の形で現されています。
この『インディ・ジョーンズ最後の聖戦』という映画は、永遠の命を得ることのできる聖盃を探すナチスに、ハリソン・フォード演じるインディ・ジョーンズとその父親を演じるショーン・コネリー親子が巻き込まれるという物語です。
物語の終わり近くで、聖盃のある入り口の近くでインディの父親が銃で腹を撃たれます。永遠の命を授かる聖盃で父親の命を救うためにインディに聖盃を取りに行かせようと、ナチスがたくらみ、インディの父を撃ったのです。
三つの試練
インディは、聖盃とそこに入れる泉の水を求めて危険に立ち向かいます。ところが、その聖杯のある場所に行き着くには、三つの試練のある関門を通り抜けて行かねばなりません。
それぞれの関門にはそれを抜けるためのヒントがあります。一つ目の関門を抜けるヒントは「悔い改める者だけが通れる」(反省するものが救われる)で、二つ目は「神の名を呼ぶ者だけが通れる」(神の存在を信じるものが救われる)です。この二つの難所を通り抜けたインディは最後の難所に向かいます。
先の二つはヒントの謎を解き、その通りに進めばよかったのですが、最後は違います。ヒントを解くことで得た答(論理的知識や情報)だけではクリアできないのです。神に全幅の信頼を置き、神と一体である自分を信じて進まねばなりません。
最後の試練を成し遂げるヒントは「ライオンの頭から跳躍する者だけがその価値を認められる」で、ライオンの彫刻を背にし、聖盃のある方に行かねばならない場面でした。ところが、その先は橋のない絶壁なのです。
腹を撃たれ、インディから離れ横たわる父親は苦しみの中で息子への想いをこう呟きます。 ― つづく ―
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