お金がない社会って考えられますか? 間もなくそういう世の中が実際にやってきますよ。その前に大変な生みの苦しみを乗り越えないといけませんが。

 日本は最近まで和同開珎が初めての通貨とされていましたが、奈良県の飛鳥池跡地から宮本銭なるものが発掘されました。実際に貨幣としては使用されなかったようですが、どうもそれが最初ではないかと言われています。いずれにしても7世紀のことです。しかし実際には江戸時代後半までは日常金銭を使っていたのは一部の身分の高い人たちで、庶民や農民は物々交換が主流であったのです。貨幣が一般庶民にも普及したのは江戸時代ですし、朝市などに代表される「市」では物々交換が主流でした。お金が本当に流通経済の主役になったのはそんなに昔ではないのです。

 民主主義などもそうですが、誰もが何の疑いもない現代の常識は、人類の歴史から見ればほんの一瞬の出来事です。本当に平和な社会、本当に愛ある社会では、お金や多数決の秩序は稼動していません。
 現実にある身近な秩序として、愛ある家庭を考えれば分かると思いますが、お金や民主主義などありません。生活費として奥さんが受け取るお金も、家の中で使用するものとしてあるのではありません。洗濯したから幾ら、料理作ったから幾らということではありません。
 物事を決めるに当たっても、基本的には何となく、お互いが許しあって、歩み寄ってという具合です。少なくとも私の家では。家族会議など開いて、多数決を取っている家庭があるとしたらそれは家族が一体となっていない、通じ合っていないのであり、いわば苦肉としての選択といえます。

 誰もがお金が欲しいと思っています。もちろん私だっていっぱい欲しいですよ。でも一方で、お金が余っている人もたくさんいます。使い方に困っている人もいます。
 アメリカでは上位1%の人の資産が全アメリカ人の半分の資産と同量になるということを知っていますか。この人たちはもう充分にお金があるのに、もっと欲しいと貧困層の税率を上げる政党を支援しています。
 このお金を配分すれば貧乏人はいなくなります。
 勝ち組負け組みとか言い、貧乏は負け組みと捉えたりしますが、ビルの掃除をすることや、タクシーを運転する人、スーパーのレジを打つ人、みんな役割を持っています。そういう人たちのほうが世の中では圧倒的に多いのです。

 「週間ポスト」1/28号では森本卓郎氏が「年収100万円時代を乗り切る」という稿を寄せていますが、パートは勿論、契約社員や派遣社員などの所謂、非正社員が年々増える一方で、今は労働者の3人に一人が非正社員だそうです。そして彼らの8割は月収20万円未満で働いているというのです。アメリカなどではこういう人が圧倒的に多く、家庭を持って共働きで子供を育てたりしているのです。

私の勤める会社でも非正社員が多く就業していますが、みんな社員と同じ仕事をして、しかも社員より働く人が多くいます。ところがこの若い人の収入は社員の半分以上になるものの、40代を過ぎると社員の1/3程度かそれを切る場合すらあります。
 今、先進国で一番平等で貧富の差がなかった日本がアメリカ追随でどんどんと貧富の差が広がっています。何かが間違っています。  ―つづく―