
お金のない社会があり得ることや、ユートピアには多数決の民主主義などないことなど、現代から考えると奇想天外な未来の現実を理解するには、この脳に作ってしまった既成概念を払拭しなければなりません。
脳の使い方を間違えると
日常の生活において、確かに私たちは脳を中心として、その恩恵を受けながら生活を継続することができます。確かに私たちは肉体という体を持っているのですから、単に生活の上では、体を司るのは脳でいいのかもしれません。しかし同時に、私たちは自分の魂を成長させるという目的を持ってこの地球に生まれてきたことも現実です。
肉体の要求は本能的なものが多く、それ自体をコントロールする存在が必要となります。それが良心、魂と呼ばれるもので、それと肉体側の現在意識がひとつになって行動できるのが理想なのですが、現実は本能の欲に負けてしまうことも多いのです。それで守護霊や天使と呼ばれるような様々なガイドの存在が道を示しながらサポートしているのです。
考えるのは脳ですが、記憶や既成事実を頭に植え付け、強い既成概念としての先入観、こだわりを作りだしているのもまた、脳なのです。それが強い信念となったとき、私たちは形而上世界の真実を見る目から離れていきます。それが真理の判断、本当の自分の判断にベールをすることになります。脳は思考に使っても、使い方を間違えると自分を無にして、本当の自分と繋がって今を生きること、天からのメッセージを無意識に感じるということから遠ざけてしまうことがあります。
信念も、この脳でつくり上げた(規制的既成の)信念ではなく、神の意思としての(直観力の継続的)信念でなければなりません。
12月30日のブログのモハメド・アリの言葉に「なぜ人間がつくった法律や規則を気にして自らが信じる正義を引っ込めなければならないのでしょう。私は人間の法を恐れるより、神の法を恐れます」とありますが、世の中の常識に逆らうことを恐れていると、本当の自分を生きることはできない、ということです。
「神の法を恐れる」というのはその前の言葉の「人間の法を恐れる」の韻を踏んだもので、実際のアリは「恐れ」ではなく、「私は既成概念にこだわらず、自分の中の真理を貫く」という心情だったのだと思います。
競争原理も、お金社会も、民主主義も、一時の既成概念
これまで散々述べてきましたが、競争原理は新しい地球に向けての常識ではありません。特に愛についての理解が深まって、愛は自他一体を根底にしていることに気づけば、競争とは自分と他人を別けることということにも気づきます(誤解を受けたくないので述べておくが、運動会の徒競走でみんな一緒にゴールする、というのはいただけない)。これも世の常識に意識を当てて真の自分と繋がることができないと理解できません。
また新しい地球にはお金もありませんし、多数決の民主主義の秩序もありません
俄かには信じられないかもしれませんが、本当のことです。
そしてこれを理解するには記憶力が平均を大きく下回っていても、学校の成績が低かったとしても、何の関係もありません。 ― つづく ―
今日の絵は正垣有紀さんの「雀の学校」