昨日の朝、テレビを見ていたら日本の「ゆとり教育」の失敗について論議していて、石原東京都知事が知識の詰込みが子供たちには必要で、人為的に苦労をさせる場も必要と言っていました(この発言でむかし子供に「悪魔」という名前を付けようとした親を思い出しました。

 名付けの理由は子供が自分の名前で苛められてもその苦境に耐えて成長して欲しいからでした)。怖・・・
 また石原都知事は教育には競争も不可欠だと言っていました。それに対して尾道の小学校の陰山校長が遠慮がちに、競争については必ずしもそうは言えないのでは、という発言をしていました。
 このような問題は石原知事のように頭から決めつけれられることではなく、何であれ正しいか正しくないかは、そこに集う人もいろいろいるので簡単に答えは出ないのです。
 しかし過程は別にしても、私たちが成長をとげ、行き着く先は競争のない社会です。なぜなら私たちの根底は元々一緒でひとつで、繋がっているのですから。
 競争が(正しいこととして)必要とされる人は、競争は平和な社会を作らないということが理解できていない人で、彼らは競い合う中でそれが終局的にもたらす災いを自分で作って、その悲しみを理解するまで経験しなければなりません。競争が終局的にもたらす悲劇は、ひとつの戦いが終わったときには勝者にはもたらされないのです。ですから何度も争いを繰り返し、敗者の悲しみを充分に味わうこととなります。勝ったときに自分の喜びだけしか心に存在せず、敗者の悲しみに思いがいかないほどに、将来大きな悲しみの敗北感を味わうことになります。

 昨日で槇原敬之さんの歌の話は終える予定でしたが、この都知事の話を聞いて、最後に競争社会について「世界に一つだけの花」を題材にして書いてみることにしました。

 私たちは常日頃、思い遣りだとか、人が幸せになるようなことをしようと言います。 しかし私たちの価値観で一番多くを占めているものは、「私が幸せになること」次に「私が好きな人も幸せになること」で、ついでに「みんな幸せであればそれに越したことがない」という程度ではないでしょうか。

 しかし羨みの心と虚栄心が転じて、現実には人の不幸を喜ぶ自分という存在がいます。 この存在を槇原さんは「I ask」の中で
  ♪♪I ask myself 僕は問いかける
   I ask myself 僕の中味に
   I ask myself 僕の知らない僕がいて♪♪
 と歌います。
 また、ここではこれまで紹介してきませんでしたが、
「優しい歌が歌えない」という曲では、


  ♪♪ (自分の苦しみを人の所為にして人を責めていたので
   苦しみは膨れるばかりだった… それで)
   自分の中を見る以外にもう術はなくなってしまった
   そこで僕は確かに見たんだ
   総てを人の所為にして 誰でも平気で傷つけるような
   もう一人の自分が 心の中で暴れながら
   僕をボロボロにするのを♪♪
 
 と歌います。

 「僕の知らない僕」 「もう一人の自分」とは幻想としての自分で、欲とエゴを持って邪な意識体に操られる心の自分です。
 基本的に一般には魂と心の関係は明かされていません。科学的に証明されないので学問として認知されていません。魂などあるのか無いのか… という状態で、みんながその言葉を使っているから何となく使っているというのが実情です。
 しかし槇原さんのように、魂の存在と心に巣食う邪な存在との関係が分かっていると、人間を性善説として確りと捉えることができるのです。これが曖昧ですと、左翼的な(何となく)性善説で終わり、窮地に追い込まれると簡単に性悪説的なことを言って自己欺瞞に附します。
 終局的には他との戦いという学びが終われば地球もユートピアになるのです。
 しかしそれを終えるにはどうしても超えなければならない学びの壁があります。
 それは自分が抱えたトラブルを〝自分の外の「他」〟との戦いではなくて〝自分の中に居る「他」― 幻想の自分〟との戦いへと、対象を外から内へと切り替えなければならないのです。
 先に紹介した「I ask」でもこのことに関連した詩があります。

♪♪これは毎日起こるかもしれない僕の中の戦争
   戦う相手はほかの誰でもない 自分を相手の戦争
   問いかけることを止めれば負けてしまう 簡単に…♪♪
 (〝I ask〟より)

 そしてその自分の中の(四次元の心の)戦いに勝利する必要があります。
 三次元の戦争で勝利しても自分との戦いは終わっていませんから、また戦争が起きます。

●人間は元々一つであること
●分かれたときに一人ひとり自分固有の役割を持っていること。
●敵は外にはいず、自分の中にいること

 これを理解していれば、一番になりたい、人の上に立ちたいというような意識は本来の人間の意識ではないことに気づくのです。

世界に一つだけの花
♪♪花屋の店先に並んだいろんな花を見ていた
  人それぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
  この中で誰が一番だなんて争うこともしないで
  バケツのなか誇らしげにしゃんと胸を張っている
  それなのにぼくら人間はどうしてこうも比べたがる?
  一人一人違うのにその中で一番になりたがる?
  そうさ 僕らは世界にひとつだけの花  
  一人ひとり違う種をもつ
  その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい ♪♪

 私たちは外見という異なった自分たちを常に見ていて、内面でも幻想として作り出してきた意識(遺伝した性格なども含み)― 実在でない自分たちを見て、自分と他人は違うと思い込んでいます。
 しかし本来、人間とは全体(唯一の存在)を高める為に全体から分かれて生まれて来たのであり、他人とは異なるそれぞれの役割(♪一人ひとり違う種♪)として光り輝いている存在なのです。AさんにはAさんの神(唯一の存在)に帰還するための役割があり、BさんにはBさんの目的は同じでも異なった種の役割があります。互いにいがみ合っているようでも互いに磨きあっているのです。
 私たちは元々一つであるということは既に述べました。 それで人間の体には(退化中のものはあるにしろ)爪から毛まで無駄なものがないことは説明の必要がないでしょう。それぞれが競い合うということなく役割を持って協調しています。それについてはここでは詳しく述べませんが、地球に生きている人類も同じです。  これに気づくか気づかないかで進化の速度はまったく違ってくるのです。
 多分、2005年から2008年の間にこれを一人ひとりが成し遂げないと、私全体が新しい地球に移行するということが出来ない方向にセッティングされるでしょう。私全体の一部が再統合を成し、その他の多くはそれぞれの新しい学びの場に行くこととなるでしょう。
 残念ながら今はまだ、

「♪ (役割は)一人ひとり違うのにその中で一番になりたがる ♪」のが現実の人間です。
♪♪困ったように笑いながら ずっと迷っている人がいる
  頑張って咲いた花はどれもきれいだから仕方ないね
  やっと店から出てきたその人が抱えていた
  色とりどりの花束と嬉しそうな横顔♪♪

 個の尊厳を認めお互いを思いやる社会を構築したいものです。

♪♪名前も知らなかったけれどあの日僕に笑顔をくれた
  誰も気づかないような場所で咲いてた花のように   ・・・・(略)・・・・
  小さい花や大きな花   ひとつとして同じものはないからNo.1にならなくてもいい
  もともと特別な only one ♪♪

 今日の絵は正垣有紀さんの「もみじ」です。
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