今日は「カルマ」の話。カルマとは仏教で言うところの「原罪」で、キリストは人類の原罪を背負って磔(はりつけ)に処せられたなどとも言われます(これはあながち間違いではないと思います)。人が罪を犯し人の成長を止めたり、不幸にしたりすると、その罪と同程度の不幸をその後、経験しなければなりません。
 カルマのメカニズムに入り込むと結構複雑なことが分かり、また宇宙の法則の秘密の部分も多く、簡単には口に出すことはできないのですが… んー、ちょっとだけ。

 たとえば人が、自分がつくったカルマで苦しんでいても、それが学びのための試練としてその人が克服しなければならない問題であったとき、それを他人が簡単に(余計なお節介で)解決してしまうと、成長を妨げたというカルマを背負い、その人のカルマを肩代わりしなければならないような場合も(イエスの場合とは別に)出てきます。しかし、それがお節介ではなく、助けれられた人が助けに愛を感じ、感謝し、自分も人がして欲しいことをして上げようと思えるように成長したら、それはカルマとはならないのです(11月25日の「映画解説(5)〝マトリックス〟のメッセージ ― 「扉は自分で開けろ」に関連ログあり)。

「自分で蒔いた種は自分で刈る」のがカルマの原則ですが、冒頭のイエスの場合も含めいろいろと例外はあるようです。
 そう、難しくて、ややこしくて、書きすぎると私の罪になりますので、その内ということにしますが、ただ、これは何事も動機次第です。動機さえ間違えなければカルマを作ることは一切ありませんので、ご心配なく。

  ♪残念ながら僕らはこんな風に色々抱えて生まれてきたんです
  そのままが特に美しいものじゃないんです♪♪


 子供は皆、初めは無邪気で天真爛漫の心をもっています。でも段々と成長するうちにエゴが目覚め始めて心に汚れを付けていきます。
 よく闘魂などと言いますが、魂それ自体は神から分かれた御霊と言われるように個性がほとんどなく、人と戦ったり人の上に立ちたいと願ったりする存在ではありません。他との闘いは本来は闘魂ではなく闘心と言ったほうが現実に近いです。闘魂と言う場合には、戦うのは他人ではなく「自分との戦い」ということになります。
 人の個性は両親から受け継いだ遺伝子(本能などを作るもの)や様々な集合意識の関与を受けて、性格などとして定まります。そして成長するといろいろな性癖を作り出し、それを日に日に大きくしていきます。その心の反映が今の現実です。

 更に、前世で犯した罪、原罪、つまりカルマの清算をするために予め人生のシナリオが決まっていきます。私たちは「なぜ何も悪いことをしていないのにこんなひどい目に遭うのか、この世には本当に神様がいるのだろうか?」などと自分の不幸や新聞の社会面の他人の不幸な事件を見て思ったりします。自分に落ち度がないと思うから、不幸を運や人のせいにして「自分の心を見る」という人生を送りません。そして結果的には意識の成長を作り出すことができないのです。

 しかし現在の人生で清く正しく生きていても、前世では深い罪を犯している可能性があります。そしてそのようなことを前世で犯したということは、これまでの現生で何も悪いことをしていなくても、そんな資質が元々はあり今生に引き継いでいるということで、その性癖を、身をもって正す方向の経験をする必要があります。
 現世では忘れていても魂の歴史という、多分何億年という本当の自分史では、「魂の現世」のなかでの償いであるともいえるのです。
 そういうものを ♪僕らはこんな風に色々抱えて生まれてきたんです♪  ― つづく ―

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写真は〝時さん〟の「漁港の夜明け」。この写真は半年ばかり会社のパソコンの背景に使っていた「私のお気に入り」です。
今日からクリスマスバージョン  いや、私の場合かな