2026年6月30日に、日本の国旗を傷つける行為を処罰する「国旗損壊罪」が衆議院本会議で採決され、賛成多数で可決しました。
しかし国旗に家で罰点を付け、それを参政党の街頭演説で掲げることは罪にはならないという、全くもってまおかしなものです。
しかし参政党はないよりあった方が良いということでしょう、賛成しました。
国旗損壊罪の成立に反対する人の声でもっとも大きい理由として常に出てくるのは「表現の自由を損なう」というものです。
この意見は全くもっておかしなもので、反論してはハナから成り立ちません。
この表現の自由を認めると殺人も、窃盗も、詐欺も罪にならないという論理を言うことが出来てしまいます。
そもそもすべての法律も憲法も表現の自由を制限することで成り立っているのです。
それは人間には人間の意思の入った「善悪」は判断できても、人間の意思の入っていない「正しいこと、正しくないこと ( 間違っていること )」 は判断できないので正しいことを良いこととして、法律として仮定しているに過ぎないのです。
或る行為が表現の自由として許される行為か否か? を決めたのが三次元の、形而下の法律なのです。
国旗損壊は表現の自由を与えてはいけない行為か否かを考えて制定すればいいだけです。
多数決の民主主義は正しいことが判らない人間が、正しいことを仮定しているに過ぎなく、民主主義は終局の政治形態ではないのです。
私は2002年に書籍を上梓したのですが、
そこに善悪と正しい正しくないの違いを書きましたので、下記に一部貼っておきます。
このホームページを載せていたプロバイダーが突然メール配信システムとホームページを終了してしまい。
今、別のところに移す準備中です。
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私たちは生まれてからズッと「良い悪い」「正しい正しくない(間違っている)」という言葉を何気なく使ってきましたが、「良い」と「正しい」を使い分けてきていませんでした。 「良い悪い」と「正しい正しくない」とはどう違うのでしょうか。
結論から言えば、「良い悪い」とは人間の意思の入っているものです。良いこととは良識とも言えます。人の良識で正しいことと認識されていることです。私たちが良いことと言うとき、そこに主観的な気持ち、つまり好き嫌いのエネルギーを感じることができるでしょう。
後述しますが、世の常識も憲法もあらゆる規律も法律もこの「良いこと」の部類に属します。
それに対して「正しい正しくない」とは人間の意思の入っていないものです。
「正しいこと」とは「生命を進化・成長へと導く運動」を言います。
そして人にとっての「罪」とは、これとは逆のこと ― すなわち「生命の進化・成長を意図的に止めたり、後退させたりする運動」つまり、意図的な正しくない行動を言います。
正しいか正しくないかは、人が決めるものではないのです。というより、決まっているものではなくて、結果として生命を成長させるか否かのことです。一定の固定的な行為を指して正しいこととか間違っていることとか決め付けることはできないのです。
正しいか正しくないかの結論はずっと後にならないと分からず(生まれ変わりを経ての計画もある)、人間には先ず正しいことは判らないのです。
正しいことは「現象・行為」それ自体の中にはないからです。
ですから行為・現象に対して人間が定めたことはあくまで善悪であり、正しいこととは言い切れないのです。人間が定めたことは、あくまで人が自分自身で判断できないこと、人それぞれの価値観が異なることを前提に、正しいこととして固定・仮定したこと、それが善悪です。
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