12月25日の参政党の記者会見で新たに二人の入党が発表されました。
そのうちの一人の宇都隆史さんのFacebooを見ていて心が喜びました。
何とも心が浄化されるというか目がウルウルしてきました。
宇都さんの人となりが素晴らしく心に沁みてきたからです。
奥様の強い支えの中、夫婦仲の良い様子にも心が温かくなります。
Facebookをリンクしますが、多分Facebookを開設していないと見れないと思うので、リンクだけでなく本文も貼っておきます。
https://www.facebook.com/takashi.uto.1
***********************************************************************************
その1は参政党入党を発表前のものです。
【ご報告〜その1〜】(長文失礼)
この度、長年お世話になりました自由民主党に離党届を提出し、受理していただきました。これまでご指導ご厚情いただきましたご関係の方々に対し、衷心より御礼申し上げます。
思い返せば、3年半前の参議院選挙(3期13年目)にて落選の憂き目に遭い、浪人生活を続けて参りました。
生来、物事に対して引きずるタイプではありませんので、当時は落選を淡々と受け止めつつ、精一杯戦った結果として甘んじて受け入れておりました。なぜなら「選挙は結果が全て!」落選した原因は私本人の力不足・不徳の致ところ、それ以外にはないからです。実際に落選してみて、自分に何が足りないのか、自分の人間としての未熟さや政治家としての不勉強な部分が、本当によくわかりました。これは私の人生にとって、とても有難い経験だったと今でも大切に思っています。
一方で、落選後に味わった様々な経験は辛く苦しく、人間不信を起こすのではないかと言うほど、精神的に参った時期がありました。そんな時にも関わらず、私から離れることなく、ずっと寄り添っていてくれた支援者(仲間)を、私は生涯忘れることはないでしょう。すぐに離れて行った方が圧倒的に多かった中、何も言わず全く変わらない態度で、ただそばにいてくれた皆様…
それこそが本物の同志・仲間だということを身をもって学びました。
落選後の3年半は迷いとの苦悩の連続でした。落選直後、もっと勉強がしたいという私のわがままを、妻はすんなりと受け入れてくれて、某大学の安全保障学部の修士課程に行かせてくれました。ボロボロの心身を引きずりながら、何とか前に進もうとする私を、妻はありのままに受け止め、経済的に苦しいにもかかわらず、好きなようにやらせてくれました。
当時私は一切仕事をしていません。当然収入はほぼゼロですので、生活は相当に苦しかったはずです。妻は文句も言わずにこれまでの蓄えを放出し、新たなパートなどで僅かばかりの収入を得て、私の学費や交遊費をさりげなく捻出してくれていました。なんと、申し訳ないことだったか…後でわかった事ですが、今でも頭の下がる思いが致します。
心身の回復と共に、社会復帰をすべく私は再就職をいたしました。誰のコネにも頼ることなく(そもそも、そんな声掛けすらありませんでしたが…)、ネットで探したミドル就職サイトに登録し、某コンサル会社に就職を致しました。安全保障や国際関係に係る事業リスクの分析・提言を行う業務をいただき、大変に寛大な待遇で禄を食ませていただきました。
後から聞いた話では、最終選考の役員会にて「反対多数」であった中、私を評価してくださった当時の部長が「自分が責任を取るので、彼を採用しましょう!」と最終プッシュしてくださったようです。人生とはご縁によって助けられていると言うことをしみじみと感じます。
仕事もいただき生活も安定し、「分析・提言」という形ながらも政治に関与できているだけで、自分が生きている価値がある気がして、十分に幸せな毎日でした。これまでできていなかった「妻孝行」も沢山やりました。議員時代はできなかったキャンプやスキー。また、かつては外食ばかりの毎日でしたが、二人でほぼ毎日夕食を共にし、今日あったことを喋っては笑い合い、温かい布団で共に寝る。これ以上の幸せは無いというくらいの日常を過ごしていました。
時折、「もし僕がもう一度政治に挑戦するとしたら、どうする?」と妻に尋ねると、「あなたがしっかりと考えた上で、覚悟を決めてやるというのなら、その時はついていくよ」といってくれていました。
でも、私には今の幸せと安息を投げ打ってまで、もう一度政界に戻り、魑魅魍魎の世界で「護国の鬼」となって生きる覚悟はなかったため、それはたわいも無い言葉遊びのつもりでした。
ところが、今年の秋頃、事態は急転し始めました。いえ、実際に動き始めたのは11月に入ってからです。
「もう一度政界に戻ってきて、力を貸して欲しい。一緒に戦ってくれませんか!」
ある方より、そのようなオファーを受けました。初めは大変に戸惑い、そして丁寧にお断り申し上げました。「いまさら」という気持ちと「もうあのような辛い思いはしたくない」という思いが交錯しました。しかし、同時に「自分のようなものを必要としてくれている」という嬉しさに心が熱くなりました。
そのオファーは一度きりならず、何度も続きました。そして、最後に私の中で何かが『カチリ』とハマる音がすると同時に、腹の底から忘れかけていた熱い何かがもう一度炎を吹き始めるように感じました。
「もう一度やってみるか…」
そう思って、鏡の中の自分に向き合った時、その顔が何とも不思議に感じました。この3年半見たことの無いくらい瞳に光が宿っていました。自分の顔をボーと眺めつつ思いました。「ああ、これが本来の俺の顔だ。久しぶりに見たなこんな気合の入った眼光。なんか、今まで寝ぼけたような顔してたんだよな…」と…。
このような経緯にて、最終的にオファーをお受けすることを決意し、その代償として今の仕事を辞め、長年お育ていただいた自民党とお別れする道を選択した次第です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて、今後どうするのか?そのオファーをした人物、その内容とは?
そのご報告については「〜その2〜」にてお知らせしたいと思います。それには、もう少々お時間をください。
まずは、皆様に、自民党離党のご挨拶まで。
*********************************************************************************
【ご報告〜その2〜】(長文失礼)
本日、国会内にて記者会見を行い、参政党に入党すること、そして政調会長補佐として主に参政党の外交・防衛政策のサポートを行うことをご報告させていただきました。
記者会見でも触れましたが、実は神谷代表と初めて知り合ったのは、18年前(私の記憶が正しければ)のこと。私はまだ松下政経塾の塾生で、神谷さんは大阪吹田市の市議会議員に当選したての頃でした。ある勉強会にて出会い、日本の未来や将来像について夜通し熱く語り合ったのを覚えています。
それ以降、神谷さんが龍馬プロジェクトを始め、大阪から教育を立て直していこうと「大阪教育維新を市町村から始める会」を設立し、橋下徹さんと方針の違いからその会を脱退し、新たに自ら政党を作り上げていくという過程を一友人として見守ってきました。その間、時折連絡を取り合ったり、食事を共にして天下国家を語り合ったりする中で、友人でありつつも「芯のブレない政治家」としての神谷さんをリスペクトしてきました。
今年の9月、参政党の安全保障関連の勉強会に講師として招かれ、その際に神谷さんに「一緒にやりませんか?」とお誘いを受けたのが今回のきっかけとなりました。
「〜その1〜」でも書きましたように、国会議員という地位には何の未練もありませんでしたし、「今更自分なんかが戻って何の役に立つのか」という思いでしたので、「長年の友人として気持ちは大変にありがたいけれど、議員に戻るつもりはありません。」と申し上げました。それでも神谷さんは、「宇都さんは政治の世界に必要な人です。議員としてではなくても政策スタッフとしてでもいいから力を貸して欲しい。直ぐには返事を求めないので是非考えておいてください」と言われ、私も「そうですね、ありがたいお言葉に感謝いたします。考えておきますね」と社交辞令を申し上げてその時は別れました。
そして11月半ばになり、上記のことなど忘れかけていた頃、再び神谷さんより「その後考えはまとまりましたか?お返事を待っています」との連絡をいただきました。その段になって初めて、神谷さんから本気でお誘いされていることを自覚しました。「本気ならばもう一度会って、しっかりと話がしたい」と私から申し上げ、その後数回に渡って面談をいたしました。
話をするにつれ、神谷さんの理念や国造りに対する情熱がヒシヒシと伝わり、私自身も忘れかけていた熱い志を取り戻すのにそれほどの時間はかかりませんでした。
「神谷代表をお支えし、参政党を力強い国政政党へと育て上げる事ができれば、政治家としてやり残した(戦後の誰もなし得なかった)憲法改正に道が開けるかもしれない!」また、「自分の専門分野である外交と安全保障についてなら、それなりにお役に立てるかもしれない」と自分の中で腹に落ちたものがあり、神谷さんに受諾する旨を返答したのが12月初めでした。
ただし、神谷さんには条件として、「自分も自民党に世話になってきたので、最後にきちんとお別れの仁義を切ることを了承してください」とお願いし、お世話になった先輩議員、懇意にしていた同僚、そして何より党のリーダーである高市総裁には事前に(水面下で)挨拶に伺い、「自民党を離党して神谷代表を支えるために参政党に入党する」旨を事前報告して回りました。
挨拶に行った自民党議員からは、「寂しくなるな」、「また一緒にやれると思っていたのに残念だ」といった言葉をいただきましたが、不思議と「参政党であれば宇都君の活躍の場もあるだろう、頑張って」と殆どの方より一定のご理解をいただけたのは幸いでした。これも、自民党議員が参政党や神谷代表に対し、一定の評価していることの表れだろうと思います。
そして、本日25日、参政党の臨時記者会見にて公式に発表する運びとなりました。
元自民党議員の参入が相次ぐ参政党ですが、私は党を移るということは、ゼロからその党に忠誠を尽くし直すことだと思っています。私自身、議員歴はそれなりにありますが、参政党員としては、本日始めたばかりの1年生です。これまで党を一生懸命に支えてくださった党員の皆さんの努力や、苦しい時に応援してくださった支援者・サポーターの皆さん、そして何より先に国会議員として現在活躍されている議員の皆さんへの最大の敬意を持って、これから一兵卒として汗をかかせて頂く所存です。
一日も早く、参政党の理念や信念を自分のものとし、党員の皆さんからも、本当の仲間になったと言われるよう精進してまいります。
宇都隆史の第二章、どうぞ皆様の温かいご支援とご指導を賜りますように、心からお願い申し上げ、ご報告とさせていただきます。
---------------------------------------
放射能を強く吸着することが判明した黒雲母花崗岩から60種類以上のミネラルを抽出。
ヤフーでの口コミがヤバイ もう少しで5つ星。
お問い合わせは⇒ 0120-998-711
紹介者IDは「111270」です。
【衝撃データ】波動が高すぎて測定器が振り切れた!?
「希望の命水」の実力
初めてご訪問の方は「真実の扉」ホームページにも是非お立ち寄りください。
幾多の前世の「おもいで」を思いだし記した志摩川友重さんのページ。
前生のおもいでを綴ったサイトは死後の霊界の記憶を含めるたぐい稀なものです。
#外国人#新型コロナワクチン#代表質問#参政党#移民問題#高市早苗
