昭和40年代、やがて訪れる中古車流通の将来の姿を見極めるために、米国への視察が行われた。


その視察団の中に、渡辺喜太郎氏と、高橋隆次氏と五十嵐輝夫氏がいた。

その3人が帰国し、それぞれの道を歩んだ。

渡辺氏は中古車販売に力を入れ麻布自動車を大きくし、高橋氏は中古車オークション(JAA)を始め、五十嵐氏は、中古車専業者の組織作りを成し遂げた。


五十嵐氏が見た米国の中古車業界はその社会的地位は極めて低く、中古車セールスマンは人を騙して金儲けをする卑しい業種の代表であった。五十嵐氏は日本の中古車業界を社会から認知される業界にするため、心ある業界人を結集した組織作りが必要であると考え、全国の組織作りに奔走し「中販連」を作った。


五十嵐氏の口癖は「孫の代まで胸を張って商売ができる業種にしなければいけない。」であり、中古車販売業に対する「誇り」を強く持っていた。


先人たちの熱い想いを深く心に刻み、深化発展させることが、第二世代の我々の使命だ。

心の芯だけはぶれずに曲げずに、生きていく!!!!!!