9月13日までの 不信感の残る120日を経て、

  10月3日、今日は整形外科での診療を受けに、病院を訪れました。

  ついででは無いけれど、年の為にと 足とお腹も見てもらいました。

 

  驚く先生の顔?、(これは 内科で見てもらわないと。)急いで内科に連絡

  暫く待たされたものの、予約なしの診察。驚いたような、困ったような顔が目に浮かぶ?。

  両手で頭を抱え、机に突っ伏し(何が悪かったんだろうか)と呟く赤べ~先生。(疑 疑、疑)

 

  立ち上がると(此れまで肝臓の検査は、何処かでしましたか、してませんか)。疑、疑、疑>。

  (入院できますか、今日入院ですけど、いいですか)。

 

  どうなってんだろう、大変な事が起こったようだ。(ハイ)で、緊急入院です。

 

  5月の初診から約140日。あれだけ薬も飲んで、途中で診察も受けて、

  時ならぬ時の  緊急入院になるとは?。

  今日10月3日、整形 の診察を受けず、次回の消化器外科まで待っていたら。

  考えて見ただけでも冷や汗もの?。何で此処まで悪化したのか、させたのか。疑、疑、>。

 死にいたらず済んだのが、幸いだったと、自己満足し、おとなしく入院です。

      でも誰だって此の場合、おかしいと思いますよね~。誰だって?。

 

  でも疑いが出始めたらきりが有りません。

  その後の診察も治療も、不安だらけ?。どうなるもんだかお先真っ暗。。

  追い討ちを掛けるように、ベッドに寝かされアルビミンとやらの点滴がはじまる。

 

  先ず精密検査に成るだろうと、予測していた私の考えはもろくも外れ、

  入院治療の始まりです。(疑、疑)

  さ~これから20日間の戦いです。治療途中、色々検査も始まり、血液検査も2回も?。

 

  アルビミナー25%静注12,5   2本×9回 18本?

  プロセミド注20mg  点滴終了直後  9回  9本。

  ウルソは勿論、その他諸々のお薬。  でも入院前貰ってた、肝庇護剤、グルチロンと

  プロへパールは無い。何故?何故?、其の薬が原因だったの、<肝臓悪化の>>>>

 

  1週間もすると,少しずつ腹水が減りだしたようでしたが、突然の閉尿。

  尿が出ません。その場はカテ~テル導尿で、事なきを得たのでしたが、此れが退院後も

  数ヶ月に渡って、混濁尿等の治療を引き起こす事に成るとは、知る由も無い?。

 

  そして20日後、これまた突然に、退院しても良いですよ~だって。肝硬変?疑。疑。

  肝硬変そして腹水。それが20日で退院?。早くない~。

  こちらは緊急入院とあって、何もかもほったらかしで入院した事も有って、渡りに船>。

  船が一番の心配で、無事に浮いているか、エンジンはと、そそくさと退院した次第。疑。疑。

 

  此れがいけなかったのか、地獄の予後が待っていました、我が家では????・。>>

  これは此処では省くとして、現在、筋肉痛、筋力低下の為、立ち上がるのも不自由、

  肝硬変の合併症、腹水、脳性肝症、薬の副作用の 横紋筋融解症等の不安の中

  闘病を続けています。まだまだ疑問もイッパイ。この疑問が晴れぬ事には、精神的にも

  肉体的にも改善されたとは云えず、闘病と平行して真相を究明して行きたいと思います。

 

  疑惑の残る魔の120日、納得のいかない魔の9月13日。アンモニアの真実。

  まだまだ続きますので よろしく御立ちより下さい。>>>>>>グラサングラサングラサングラサングラサン