普段、きっと、自分をだましている。
本当のことではないのに、本当のことであると自分をだましている。
これは、根拠のない自信とでもいうのだろうね。
自分の可能性は嘘かどうかわからないから、本当だと信じることで救われようとしている。
そして、いつしかやってくる機会を待望している。
だけど、希望とか信じることとか騙していたことが、そんなものはないと環境から受ける刺激によって気付かされる。
驚き目覚めるのだ。
どんな刺激を受けると、気付かされるのか。
ぶつかりあいによる気づく、要するに、自分が持っていた世界が崩壊する瞬間に気付くのだ。
自分のなかにはらんでいる世界が崩れていく。そのとき、気付き、世界が広がる。
広がるとき、気付くのだ。これまでの世界は、自分をだましていて、この世界から自分を出させようとしていなかったのだと、いわば、自分でつくった世界に拘束され幽閉されていたようなイメージだ。
意見がぶつかり、崩壊する世界を自覚するとき、気付くという行為が始まる。
意見とは、自分の世界から生み出された答えということだ。
つまり、意見には自分の世界がはらんでいる。したがって、ぶつかるとはお互いの世界が壊れる瞬間なのだから、恐れることにつながる。
それほど、恐れるものではないのだ。
ぶつかることで、世界が広がり可能性が広がり、内包していた可能性とか未来とかが表面に出てくるのだ。
そうすることで、よりよい答えが生み出されるので、より幸福なものを掴むことにつながる。
崩壊し、再生するとき、強靭になっていく。
脆弱で狭い世界から強靭で広い世界へ進化していく。
だから、強靭にするためにも、自分の世界が壊れることを恐れてはならない。
それは修復していく。そして、大きなものを作り上げていく。
環境によって気付かされるとは、
崩壊と再生によって成り立っている。気づくには、自分のもっている世界観とか世界とかを壊してもらうしかないのだ。成長につながることになるし、どんどん壊せばいいと思う。