la vie en couleurs au japon

la vie en couleurs au japon

2007年10月につくられて以来、放置され続けたあやそんのブログ、復活版。刻々と考えの変化する毎日。

Amebaでブログを始めよう!

年末の締めくくりの一日、の一日。

実家でおせち料理やらたまったクリーニングやら、
あといつのまにか増えてしまったクレジットカードの取捨選択やら
来年の投資プランやら、普段仕事をしていてフリーズしていた脳みそが活性化しだす・・
つもりだった一日。

ことしはほんとにいろいろあった一年であった

個人的に大きな出来事だったのは

転職先を半年でクビになり、おもいもよらない人生の夏休みをすごしたこと、
クビになんかなったら自分の精神はぼろぼろになるだろうと思ってたら、
大好きだったおばぁちゃんが亡くなってしまって、
仕事よりもっとほんとにかけがえのなくて大事な存在をなくしてしまったこと。

大事だったもの、大事だとおもってたけどわかってなかったもの、
いろんなことに気づいたりもう遅かったり、そんなことが多かった2015年の最初の数か月。


案外、自分は不思議なもので、
結構つらい思いをしてもわりとすぐに立ち直れたことをありがたく思う。
いろんなものを失ったあとでもなお
ちゃんと自分を見守って支えてくれるひとが周りにたくさんいたからだと思う。

たぶん私はこの一年の最初の半年に次々と起こった
つらかった出来事から学んだことを一生忘れたらいけない。

でも、本当に運に恵まれたのだけど
6月には今の仕事が見つかり、仕事や今後の不安を感じずに今を過ごしている。
すごく幸運だったと思うけど、でも偶然じゃない何かがあったようで、
パズルのピースみたいに自分の存在の形がちゃんとぴったりあてはまる居場所が見つかった。
仕事を探しているとき、私はまだ夢をみていたくて、でもすこし悲痛で、
たぶん希望より将来への不安の悲壮感のほうが大きかったと思う。


心がどきどきしたりわくわくしたり、そんな
未来への意味不明な希望は今の私にはなぜかないのだけど、
そんな気持を感じられない自分が今は少し寂しいのだけど、
こうやって文字に自分の身に起こった出来事を正直に連ねてみれば決して悪くない
人生を送っているんだと思える気がする。

少なくとも、宝くじや競馬で当てるような人間ではないけれど、
自分に必要な運はもっている。

あぁ、自分らしさってこういうことなのかな、って
おもいだしたり再確認したり、いまの自分を肯定するための
かっこうのセラピーに、日記はなるのでしょう。

世間様に自分の脳内なんか発表して、
恥ずかしくてたまらない!
とかいってかっこつけないで自分をかざらないでさらけ出すのって、
なんだか大事だなぁ。。。










ブログなんてものをもう何年も更新してないから、
今更どうやったらいいかわかんないし、
昨今のインターネットリテラシー不足による?
SNSの暴力化問題やらなんやかんやですっかりインターネットで羽をのばしたり
息抜きをするのが怖くなってしまった。

とはいえ、なんとなく最近ちょっとブログを復活したくなってみたりして。

OL始めてからもう6年。
大学生のまぶしかった時期をすぎ、今やすっかり大人の女性に・・
心からなれたわけでもなく、青臭いところは青臭いまま、成長したかと言われれば
いつまでも丸腰の私のまま、生きてるわけでして。

だれかがみててくれないと、自分の日記が書けない気がするのは今のアラサー世代なら
わかってもらえるんですかね、ミクシィ世代なわけです。要するに。

でも、まぁ、やり方はひとそれぞれだけど、
自分のことを見直すのに少し公共の場をお借りしたい、そんな気持ちになっただけで
大したことが言いたいわけではないのですが、
またちょこちょこ更新しようと思います。

いま日記をつけてやりたいのは
増えてしまったクレジットカードの整理と、
運用方針の整理と、
今後のキャリアプランのこと、
あと、趣味の発表

あぁ、なんか自分て大して変わってないな、
ぶれないんだな、自分で自分のことをそう思えたら幸いであります。
そしてそんな自分を認めてもらえる人が世の中にいたらもっと幸いなのです。

少し早いけど敬老の日が近づいていたので、

京都のおばあちゃんちに行ってきた。


週末から4日間実家でゆっくりしたり親に甘えたりして過ごした後の

おばあちゃんち。


おばぁちゃんは齢93の古強者ですが、おばあちゃんの精神は今も健在。

東京でのオリンピック開催決定に、期待に目を輝かせる。

(なぜならおばあちゃんの持っているセメント会社の株があがったから)

彼女が生きていたら100歳だ。

もちろん簡単にはかなわないと思うけれど、ずっと元気でいてほしいなと思ってしまう。

おばあちゃんは、太りすぎなのでダイエットに励んでいるが、

痩せる気配は一切ない。むしろ、ステーキにアイスクリームとスタミナのつく食べ物ばかり食べている。

その体力、私はあと50年もしたら失ってしまいそうだ。

年をとったらあくなき食欲がほしい。


おばあちゃんといると辛気臭いことを何もいわないから、

つくづく強い人だとおもう。私もこんなに強くいきていけるのだろうか。

なぜあんなに強いのだろうかと思う。

おじいちゃんを失ってもなお、遺族年金はいい!と力強くうなずく彼女をみると、

お金に活力を見出すこともまた強さだ、と思える。

だけど彼女は乗り越えてきたのだ。


戦争で恋人を失ったり

戦後は大学を出て子供を二人育てながら仕事を定年まで続け、

その頃めずらしい働く母親として頑張ったり、

子供が大きくなってからも病気やおじいちゃんの死を乗り越えたのだ。


なんというか、現代の生きる難しさを考えるのもまた大切としても、

それぞれの時代にそれぞれの難しさがあって、みんなそれを乗り越えて生きてきたんだと

教えてくれるおばあちゃんにいっぱい感謝するし、

いままで以上にたくさん大事なことを教えてほしいと思う。


しかし。まぁ、家族を作り上げた母親は強いんであろう。

全く力強いんである。

その腕っぷしは、私の二倍は太いし。


どうも勝てないけれど、私も

力強くしぶとく希望をもって生きていければいいんだけどなー

あと、難しいことにひるまず突っ込んでいく度胸とガッツがほしいとおもゆ。