1月8日は父親と祖父の命日
父親は肺癌から脊髄に転移し医師の
余命半年どの宣告通り半年で逝ってしまったえーん

父には余命を知らせないと家族、親族
みんなが一致したが俺だけが異を唱えたが
結局叔父に説き伏せられた・・・・・

まだまだ父親に教わることがたくさんあるのに
逝ってしまったが故に俺は・・・・ガーン

最期は家でと、残り3ヶ月は家で過ごしてたが
身体は痩せ細り声も発声ることもままならず
骨と皮だけにガーン

何かあれば救急車を要請していたが
俺は現実を受け入れらずに毎晩外で酒を浴び続けてたがあの日 1月8日は家に居て父が痰を絡ませ
救急車を呼び担架に乗せられた父が何かを
訴えたが救急隊は気付かず俺が怒鳴るかのように
腕の皮が挟まっているムキーと言うと父が
ニッコリと元気だった頃の様に照れくさそうに
ハニカムような微笑みを返してくれたえーん
あれが顔を見合せた父との最期の思い出にショボーン

その後暫くすると雪が降り出し
母親から父が亡くなったとの電話がきた頃には
大雪になり外は一面真っ白に覆われてた・・・

父が逝った丁度一年後の1月8日に母方の
祖父が亡くなり、その日も葬儀後、出棺時に
雪が降りだし寂しがりの父が連れて行ったのかなと

「ラーゲリより愛を込めて」を観て
俺が幼少期に祖父が戦争で満州に出兵し
戦後シベリアに抑留され強制労働に従事した
話を思い出し祖父もこの物語の中の一員だと思うと終始涙が止まらずえーん
最後の頃には嗚咽しそうになるのを我慢するのが
精一杯にえーん
今もこのブログを書きながら涙が溢れるえーん

戦争では何も生み出さないショボーン

強いて言えば憎しみしか生まないプンプン


祖父はよく戦時中の夢を見ては戦死した

戦友の名を言いながら夢に出てきたと

床から起きて出して来た事も思い出したえーん


俺も理不尽な話に怒りを覚えたムキー

でも同じ様な事・・・・・

それ以上な事を日本もしていたけど

戦争では何も生み出さず失うばかりな事を知り

戦争を放棄したから今の日本があるのだと思う・・・


早く今のロシアのウクライナ侵攻を止めて欲しい



同じ戦争映画の「男たちの大和」とは

何かちょっと違うものが・・・・ショボーン

死を覚悟し逝く事と生き抜こうとする事との

違いなのかな!?


男たちの大和は重すぎ観ていられない

もう観られないと思ったけれども

このラーゲリより愛を込めてはまた観たい・・・


嗚咽しても気を遣わなくても構わない様に

家でひとり静かに観たいえーん