4日め(10月30日、木曜日)そんな訳で、ハンバーガーの撮影。。。わははそして引き続きアパート探し。。。もう一軒のアポ、日本食レストラン。実はガイドブックに日本食レストランが3軒載っていたのだが、2軒は日本人経営と書いてあったので無視。わははははそして残りの1軒に。。。ところが、これまた27年もやってらっしゃる日本人のお店。。。あちゃー。。。いや、別に何も悪い訳ではない。ただ日本人経営の店にわたしは必要なかろうというだけのこと。わはは外国人経営の店の方が、わたしの需要は高いはずという読みだ。(笑)だからこれまでの日本人経営の店と知って飛び込んだことはない。(気ぃ使われるのも嫌やしね。。。笑)ところがちょうどFB、HP用に写真が必要なのだというお話。それはそれでありがたい♪そんな訳で、とりあえず来週打ち合わせをさせて頂くことに。しかしアパートは決まらない。。。どこも保証金がいる模様。。。ちゃんとした仕事の目途がつくまでは難しいかも。。。しかしずっとドミトリー??気ぃ狂うわ。ひーん。。。------------------------------5日め(10月31日、金曜日)昨日遅くまで掛かって、撮影したハンバーガーの写真を精査、そして切り抜き。。。なぜなら朝10時半に引き渡しの予定だったから。。。そんな訳で、朝から訪問前に、事前確認してくれと言われていたので電話。。。だが出ない。。。何度電話しても出ない。。。店に電話するも、店の従業員も朝から連絡が取れないと言う始末。。。あはん。。。そんなこんなでまた営業に出掛けたがどこもかしこも閉まっている。。。なぜ??えっ!?死者の日って祝日??何の日かは知らないが、とにかく祝日であることは間違いないらしい。。。営業なんて出来ません。。。とほほで、仕方なくホテルに戻る。。。なにしよ??。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。あっ、そうやっ、死者の日やん。墓地行こ♪ わははははははははははははははははははそんな訳で墓地cementerio行って参りました♪ 毎度っ♪デカい。。。信じられないくらいデカい。。。いままで訪れた中で最大規模。Guayaquil(Ecuador)やLima(Peru)もデカかったが、そんなもの比較にならない。。。それらの4倍はあるんじゃないかという広さ。。。驚いたことに、墓地の中を自動車が自由に通行できる。こんな墓地初めて!!いや、それが当然と思えるくらい広い。。。広すぎる。。。大勢の人々が花を供えに訪れていて、賑やかな墓地。。。だが迷うわっ。わははははははははははは まずはChile社会の豊かさを痛感させられる。。。これまでとは雰囲気もなにもかも違う。もちろん、貧しい人々、一般の人々の墓もたくさんある。だがそれにしたって、或る種の豊かさを感じさせるほどだ。それき豊かな緑に表れている。墓地の中は緑でいっぱいだ。こんなに蔽い茂った緑の墓地も初めてだろう。木陰があちこちに出来ていて、強烈な日差しから参拝する人々を守ってくれる。 そそ、当然というべきか、アジェンデの墓を探してみる。。。だが広すぎて手に負えない。。。いろんな人に訊いてまわるが、どれもこれもいい加減。。。それに富裕層の人に訊く訳にはいかない。。。いや、訊いたって嫌な顔をされるのがオチだとハナッから分かりきっている。(えーと、アジェンデは世界初、民主主義選挙によって選ばれた社会主義のチリの元大統領で、1973年、軍事クーデターによって倒された。だから富裕層の人々にとっては敵。)そんな訳で、ともかく事務所を目指すが、どうにもそこにさえ辿り着かない。わはははははははは広すぎる。。。汗っ あちこち撮影しながら歩いていると或る墓碑の前で、ご婦人から声を掛けられる。。。いや、謗られる。。。"ちょっと、それはグラディス・マルリンって共産主義者の墓よ、分かってるのっ!!"って非難だ。そらっ、見たことかっ!? わはははははははははわたしは彼女の名前は知らなかったが、2005年に亡くなった活動家で、ピノチェト裁判にも活躍した人らしい。※グラディス・マルリンの墓碑。。。Allendeの霊廟は立派だ。。。けれど死者の日で、墓地の中はたくさんの人でいっぱいだと言うのに、誰も訪れる人はいないのか、おそらくただ一人が供えたと思われる花かポツンとあるだけだった。。。もはや誰もが忘れてしまったというのか。。。それが現実なのか。。。※サルバドール・アジェンデの霊廟。。。そしてもうひとつ、事務所で聞いた"行方不明者のメモリアル"へ。ピノチェトが米国CIAと組んだ軍事クーデターでは(それは後年、CIAの資料で明らかとなっている)多くの市民が逮捕され、拷問され、多くの市民がいまだに行方不明となったままだ。複数の入り口のひとつの目の前にあるにも関わらず、ここもまた多くの人々が素知らぬ顔で通り過ぎてゆく。。。わたしが撮影していると、外国人がなにしてんだっ、みたいな視線を感じないこともない。。。自国への非難でも感じ取る人々がいるのかもしれない。。。だがしばらく見ていると、何人かの人々が足を止める。ある老夫人がおそらく娘と思われる女性に付き添われて、行方不明者のメモリアルの中で身内の名前を探している後ろ姿を見せられて、いや、まだ歴史は終わっていないのだ、終わらせてはならないのだと痛感する。(1973年、わたしはまだ12才だった。もう十分にパレスチナだとか、ハイジャック、軍事クーデターetcという言葉には興味を持って新聞を眺めていたが、実のところ、いや、もちろんのこと、その意味するところは何一つまったく分かっちゃいなかった。わはは。わたしがChileの軍事クーデターという事象を理解したのは16才の時、同事件を扱った映画"サンチャゴに雨が降る"を見たときだ。)※軍事クーデターによる行方不明者のメモリアル。。。おそらくは子供の名前を探す老婦人とその娘。。。別の若いカップルもまた足を止めて、誰かの名前を探している。親族の誰かが刻まれているのだろう。。。ついでにパブロ・ネルーダの墓も...と思って尋ねてみたが、そうそう彼はバルパライソのどこかの島か、海岸に眠っているのだ。ここには彼のものはない。(ネルーダはチリの詩人。"20の愛の詩"などで知られるが、後年は社会主義闘争の詩を謳い、クーデターの数日後、軍の妨害もあって、病院へ急行できず死亡。毒殺も疑義されたが、推測の域を出ないし、当時の政治状況でそんな面倒臭いことをする必要性はなかったはずだ。"マチュピチュの高みにて"を含む"大いなる歌"は彼の最高傑作である、とわたしは思っている。笑)
反骨の扉 Ⅲ... ANTAIOS Blog
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