これからの世の中、成功するとはどういう意味を持つのだろうか?
少なくともバブルまでは、量的に拡大していくことが成功のあかしだったわけだ。
バブル崩壊後、質的変化をめざし、コンサルティング会社の暗躍もあり、IT技術がどんどん浸透していった。
しかし、IT技術の浸透は、単なる質的な変化が成功のあかしであることを示さなくなってしまったわけだ。
IT技術の浸透で得をするのは誰なのだろう?
それは、もっぱら資本家なわけだ。
IT技術が進歩すればするほど人間はいらなくなる。
バブル期までの量的な拡大は、なんだかんだいって、より多くの人に富を分け与えることができた。
ところが、IT技術の浸透による質的な変化は、大きな格差を生んでしまった。
IT長者がもてはやされる一方で、貧困層が増大した。
あくまで個人的な成功であって、社会的な成功でなくなってしまったのだ。
そう考えると、成功の意味を、改めて問い直さなきゃいけなくなっているような気がするのだ。
アメリカ大統領選を前に、ロムニー氏をはじめとする共和党は、労働者が怠けた結果、経済が停滞した、と主張している。
経済が停滞しているから、自由な競争が必要だと言っているわけだ。
しかし、自由な競争が、結果として、ますます多くの労働者を不要にする技術革新を推し進めていったわけだ。
ようするに、技術革新を推し進めていくことは、富める者をますます富めるようにするだけ、という予測を立てることができる。
技術革新をすればするほど、労働者はいらなくなる、という矛盾を今の社会は抱えているんじゃなかろうか?
このことからも、成功の意味を改めて考える必要がある、といえる気がするのだ。
公平で競争的な社会は、あくまで理想なのだろうか?
アダムスミスの言う見えざる手は、そんなマジックハンドが社会的な利益を最大にする、と言っているわけだ。
マジックハンドを阻害しているのは、経済の原動力である利潤の追求なのだ。
改めて、成功の意味を問う必要がある、といえる。