これまた、慎重にことを進まねばならない制度ができつつある。民間刑務所が誕生したときもそうだが、国家の歳出削減と聞いてまず官僚の頭に浮かぶのは司法関係の削減なのだろうか。この制度を通すために、いろんな理屈をこじつけているが、要は費用削減が主な目的だろう。


確かに、軽微な犯罪は刑務所にいるよりも、社会の中で構成した方が効率がいい場合もある。しかし、そのために、多くの累犯を生む可能性があるのも否めない。しかも、景気悪化で今後の先行きが見えない中でこの制度は果たしてどうなのだろうか?衣食住に困った人が刑務所に住み着こうという意図を削減することに対しては効果があるかもしれないが、だからといって、犯罪が減ることにはならないだろう。ましてや、殺された人やその遺族はたまったものではないだろう。


この制度で削減される費用と効果が全く不明な上、ますます市民の治安をおびやかすかもしれないだけに、もっと慎重な議論はできなかったのだろうか。削減されるべき費用は、他にたくさんあるはずだ。


官僚の都合と市民の生活がまったくバランスされていないこの体質は、いつになったら直るのだろうか。


やはり、明治維新や日本国憲法が成立したときのように、外からの圧力が必要なのだろうか。