私の家は、当時4世帯がほぼ同じ時期に建ったエリアだった。

今では、当時からご近所さんは1軒だけ。

 

隣に新しい隣人が越してきて、あれから10年。

シングルの気のいい、明るいおじさんだった。

 

最初に住んでた隣人とは、挨拶はするけど、若い私は会話をすることもなかったけど、

次に越してきた、気のいいおじさんとは趣味も似ていて、ベランダ友達になった。

日常的な、雑談からおじさんは物知りで、私に色々教えてくれた。

 

私には父は存在してたけど、ほぼ家に近寄らず他人に近い存在だったし、最終的に親が離婚して

(離婚を奨めたのは娘の私だがw)

隣人のおじさんは、少しお父さんに近い感覚だったのかもしれないなと、今日思った。

 

そんな良き隣人のおじさんが、去年私が宮古島から帰宅してお土産を持っていくと、

食道がんが見つかったという。

 

あれから、数ヶ月先週末、息を引き取った。。

それも、私が北海道へ遊びに行った日だった。

 

私が、沖縄とか宮崎とか海が好きでサーフィンやシュノーケルしに行く度に、

おじさんもダイビングをするから、定年になったら、ダイビングに沖縄に行こうと思ってと話してた。

 

結局、定年後も嘱託で仕事を続けていて、沖縄には行けずだった。

今年の初めにも、大分県に行ったのでお土産を届けに行った時も、僕もどこか行こうかなって笑いながら話してた。

でも、レベル4のがんで転移もしてた。

でも、おじさんは素直な気持ちを言ったんだと思う。

 

私は、コロナ禍で石垣島へ行く時に、最寄りの駅から知らないおばさん達と電車が一緒になり、

成田空港へ向かう途中、一緒に話しながら向かった。

 

おばさんは、その時私に言った。

「行けるときに、好きな場所に行った方がいいよ」って。

「私もそう思ってたけど、子育て落ち着いてからは、親の介護とかになって、結局行けなかったから」って。

その言葉が、すごくとの時に、ズーンと胸に刺さり、そうしようと思い、

これまでも、人より好きなことをたくさんしてきた人生だと思う。

 

だからこそ、私は私らしく、これからもそうしようと思った。

常にアンテナを立てて、やりたいこと、興味あること、実行に移すフットワークの軽さ。

これを大事にしようと、今回隣人のおじさんが亡くなって、更に思いは強くなった。

 

長生きするかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

長生きしても、健康な身体じゃないと、楽しめない。

 

毎日を丁寧に生きる。

これって、すごく難しいことだって思う。

 

仕事に追われたりして、1日があっという間で、あー疲れた、ビール飲んで寝よとか。(私の場合)

時間に追われ、1日が終わり、やりたいことができなかったり、誰でもあることだと思う。

人生って、自分が思ってる以上に短いかもって、最近思うことがあり、

日々丁寧に生きるって、意識すると難しいよね。

それでも、いつ自分の最期が来るかわからないからこそ、

毎日を丁寧に生きることは大事だなって思った。