今日、全世界で6,000種類近くの言語があるといわれています。
しかし、「グローバル化」という名の下に、その内2,500種類ほどの言語が絶滅の危機に瀕しているともされます。
つまり、その言語を使用する者が少なくなってきたということなのですが、言葉というものは文化です。人間は単なる通信手段として言葉を使っているのではありません。


2,500種類もの言語の喪失ということは、それだけの数の文化の消失とほとんど同じくらいのボリュームがある事態だと考えてよいでしょう。ある意味では状況次第ではそれは民族的危機と捉えてよいかもしれません。
文化の消失という意味ですぐに頭に思い浮かぶのは、なぜアフリカ諸国でスペイン語を話す国家があんなにたくさんあるのだろうということです。


かつてスペインに滅ぼされたインカ文明やアステカ文明の例を引き合いに出すまでもなく、ポルトガルによるブラジル侵略も世界史上の悲劇のひとつであり、現代の中南米でもアルゼンチン、メキシコ、エクアドル、ペルー、チリなどは、全部カトリック教国であり、ブラジルも含めてスペイン語が話されています。

一体、彼らの固有の宗教、文化、言語はどうなってしまったのか?


言うまでもないことですが、欧米列強による植民地支配はつい先ごろまで続いていた人類史に残る悪夢です。またこれは欧米的視点からは絶対に公平に見ることは出来ない問題でもあります。
日本は時代の趨勢を鋭く捉えた徳川幕府による「鎖国政策」という優れた「防衛手段」によって、こういった当時アジアにまで侵略の魔の手を伸ばしていたスペインやポルトガルを見事に水際で阻止し、さらにプロテスタント国家であるオランダのみと「キリスト教の布教をさせない」という前提で友好関係を構築※するというアクロバチックな外交手腕を見事に実現することによって、日本固有の文化の保護を見事に達成しました。


今日、例えば日本各地に散在している神社仏閣はもとより、日本語の存在、日本独特の風俗・習慣が残っていること、そして長い歴史を誇る日本の文化が「言葉」とともに現存し、1千数百年前に成立した多くの文書とともに今日に至るまで私たちが目にすることができ、利用し続けているという事実は、世界史的に見れば奇跡にも等しいものなのです。


※学校における歴史教育のナゾの一つに、「幕府によるキリスト教禁教」がある。
例えば幕府軍1,900名、キリシタン側27,000名という日本最大の宗教戦争「島原の乱」は、常に幕府対キリシタン的視点から解説される傾向があるが、この当時のプロテスタント国家オランダはすでに明確に幕府支援を打ち出しており、この戦いは幕府による「キリスト教弾圧」の側面を強調し過ぎ、本質的な部分でカトリック対プロテスタントの代理戦争的な性格が強かったという歴史的事実をほとんど教えていない。これも不思議である。