ここで少し半導体の過去の歴史を振り返ってみたいと思います。


特に日本が強力な国際競争力を持つに至った半導体産業における日本製LSIの品質の向上とその信頼性の獲得に大きく貢献したとされる歴史的な出来事を一つご紹介しましょう。このエピソードは、極小精密分野における日本人の特性とその努力による成果が遺憾なく発揮された好例だと思うからです。

それは1969年に運用が開始された、電電公社(現:東西NTT)が装備する「電子交換機DEX2計画」です。


DEXとはDendenkosha Electric Exchangeの略で、旧式の機械式クロスバ交換機に取って代わった国産の電子式交換機の略称です。すでに1964年にはDEX1号の開発が行われ、そこで得られた貴重な経験と知識の蓄積をより本格的な電子式交換機DEX2号に活かすこととなったのです。


電話をはじめとする通信回線網というものは現代社会における大動脈であり、それが予告もなく不通となる事態は決してあってはなりません。電話のネットワークが故障によって大規模に不通となる事態に陥ると、現代社会はパニックになってしまうことは容易に想像できます。そういった事態を回避するためには、やはり故障が少なく信頼性の高い交換機を装備して日常のメンテナンスを十分に施す必要があります。


電電公社はその新型交換機DEX2に搭載されるICに対して、入札に参加する各メーカーに対して徹底的な性能要求を行いました。参加メーカーは、日立製作所、三菱電機、富士通、日本電気、東芝という「電電ファミリー」とも呼ばれた大手5社。そこで彼らはDEX2に搭載するCPUに使用するICの試作を行ったのです。
実は高度な信頼性を求める電電公社は参加メーカーに対して、アメリカの国防総省におけるMIL規格(米国防総省規格)やNASA(航空宇宙局)における規格よりもはるかに厳しい過酷な強制劣化試験を課し、その難関をくぐり抜けることを要求したのです。


例えば、高速に回転する遠心力によって強烈なG(重力)が与えられたり、半導体回路を沸騰した湯の中に投入したりという常軌を逸した異常な状態であっても耐え得ることが出来る能力試験が課されたのです。
果ては床に叩きつけられ、ヘリウムガスに晒すなど、考えられる限り過酷な状況が与えられても、それでも何事もないかのように正常に動作し続ける性能…。
当時のNASAの基準では地球重力の7倍のGが設定されていました。これは人間が耐えられる限界とされる基準でしたが、電電公社ではこれを何倍も超過するGを与え続けることによって、世界で最も高度な信頼性を持つICを求めていたのです。


そして参加メーカーは電電公社の要求するそのとんでもない性能のハードルを言後に絶する苦労を重ねて見事にクリアし、プロジェクトは無事完了することとなったのです。
これによって参加各社の試作する日本製LSIの性能と信頼性が急激に向上しました。また、ちょうど同じ時代、日本では国家を挙げての巨大プロジェクトがいくつも進行しており、例えば新幹線の自動運行システム、列車の座席予約システムなどが次々と実現していくこととなるのです。


今日の日本の超高度に発展した最先端半導体技術は決して一朝一夕に手に入れたものではなく、そこにはこのような各メーカーの血を吐くような努力の末に達成された事実があったことはいうまでもありません。これは日本経済が急激に息を吹き返した今日、決して忘れてはならない事実です。


現在もそうであるように、アメリカは当時東南アジアに半導体製造の組み立て工場を本国から次々と移転していました。現地では低賃金であり、なおかつ世界最大の消費国日本にも至近であるという大きな理由があったからです。量産化に成功し、そのためにLSIの価格はあっというまに下落していきました。また同時に日本のLSIメーカーはこの事態に恐怖しました。つまり、近代産業のコメとまで言われるLSIが突然まったく利益の出せない商品に転じてしまったからです。


しかし天は日本を見放しませんでした。
東南アジアで製造されたアメリカ製ICは、確かに価格は下げることができましたが、反面、現地においてQCの意識を徹底することができずに品質が大幅に下落することとなり、さらに大量の不良品を出荷してしまうという失態が連発することによって、その信頼性が一気に失われてしまったのです。


この事態は、先のDEX2開発によって高度な信頼性を備えることを達成した日本のLSIは、ここぞとばかりに一気に電卓を中心として市場を席巻し、それまでアメリカが持っていた市場を瞬く間に奪還する契機となったのです。
また同時に安価な東南アジア製ICに対抗するために、それまで人手に頼っていた半導体製造のほとんど全ての自動化を急激に推し進め、結果的に当時で50倍以上もの生産性の向上を実現したといいます。そしてその後は価格に勝り、飛躍的に性能が向上した日本製ICが全世界を長く席巻する時代が続きました。


このエピソードは、谷底へ叩き落とされたような逆境を転じて大いに飛躍するきっかけを掴むことのできる日本人の持つ真面目さと勤勉さ、精緻な技術に長けた国民性の成果の典型例だといえます。