その後の世界市場では、「PCM(Plug Compatible Machine)」と呼ばれるこの米IBM社のシステム360と同等のアーキテクチャを持つコンピュータ(互換機)が溢れかえることになりました。

資本力をもつメーカーはこぞってこの互換機を製造し、そして世界市場はこの互換機を受け入れるところとなりさらに普及していったのです。またこれは日本国内においても同じ状況でした。


もちろん「互換機」とは純正機に準じた仕様によって同等もしくはそれ以上の性能をもつ別のメーカーが製造した製品のことです。しかしそうすると、互換機を製造する各メーカーは一体どこで独自色を出すのかという点が重要となってきます。


機能は同じで、性能面で純正機や他社の互換機に差をつけるという戦略も確かに有効ですが、それよりもっと単純で分かりやすい手段はなんと言っても「価格で勝負」することが効果的です。


つまり設計は米IBM社のシステム360仕様として、製造を日本で行うことによってシステム360と同等の性能と機能を保有した互換機を安価に製造販売する戦略がとられることとなったのです。

そしてこれは決して特定のメーカーが一社で判断したことではなく、当時の日本政府からの徹底した行政指導もあったことから、国家を挙げての経済振興策の一環として実施されました。


そして、この優れた世界初の汎用コンピュータの互換機を製造することに当時の日本のコンピュータ業界が力を注ぎ込んでいたとき、その後に起こる大事件の予兆を感じた人は誰もいなかったのかもしれません。