この腕の男性が「横畠明」です。
つい最近、netでこんな記事を見つけました。一部、転載させていただきます。
井上晴美「生まれ変わった気持ちに」長髪からスキンヘッドへ 24歳当時に挑んだ挑戦も「迷いはなかった」
16歳でデビューした井上晴美さん。グラビアモデルとしても大活躍している最中、突如、スキンヘッドとヌード姿が話題に。井上さんが決意した理由とは。
◎根性が試されているような気がして
── 16歳でデビューされてグラビアでも活躍。その後、スキンヘッドの写真も話題になりましたが、こちらはどういった経緯だったのでしょうか?
⦅井上さん⦆幻冬舎から広告のお話が来ていて、幻冬舎は毎年インパクトのある広告を出しているから、当時の私の事務所の社長と何ができるだろうって話をしていたんです。せっかくなら誰もやらないような奇抜な感じもいいねと話が出て、「晴美ちゃん、坊主とかどうかなって」と聞かれて、私も「いいんじゃない」って。そのまま決まった感じです。
── 坊主になることに迷いはなかったですか?
⦅井上さん⦆多分、プライベートで坊主になったら周りに相談したほうがいいと思うんですけど、仕事だったら坊主も仕事だし。性格なのかな、突拍子もないことが好きなのかもしれません。
あと、根性が試されてるような気もしたんです。「できる?」って聞かれて「できない」って言うのはカッコ悪いなって思ったし。勢いもあったかもしれません。
◎鏡は見ないままカットが進み…
── さらに、坊主でヌードの写真集も発売されました。
⦅井上さん⦆ヌード写真集のお話をいただいて、カメラマンは篠山さんだし、ヘアメイク、スタイリストさんも信頼できるメンバーだったので、素晴らしい作品になると思いました。ぜひやりたいと思いました。
年齢とともに体型も崩れていくでしょうし、一番いいときに撮ってもらおうと。当時、お尻に届くくらいまで髪の長さがあって、カットするところも全部雑誌で撮影してもらいました。
── ちなみに髪の毛は一気にカットされたのでしょうか?徐々にとか、真ん中からとか…?
⦅井上さん⦆そのときのヘアメイクさんにお任せだったから、今、自分がどういう状態なのかわかりませんでした。白バックのスタジオで、カットが終わったらそのまま撮影する流れでしたが、自分から撮影が終わるまで鏡は見ない。手鏡も持たないって伝えていました。一度やるって決めたので、途中で鏡を見て迷いが出ても嫌だなって思ったんです。
いざ、カットがスタート。ハサミでサクサク切っていく音が聞こえると、少しずつ頭が軽くなっていって、あぁ、髪の毛って重かったんだなって感じたり、次第にバリカンの音がブイーンって聞こえると、「あ、バリカンきた!」ってなんとも言えない気持ちになったり。最後はカミソリで剃るんですけど、剃るときにジョリジョリジョリって聞こえてきて、「ワァー!」って思いました。
── 坊主になって、自分の姿を見たときはどう思いましたか?
井上さん:生まれ変わったような気持ちですね。みんな頭なでるんですよ(笑)。触らせてってみんなが頭を触りにきて。あと、頭がスースーしましたね。帽子でもニットでも被せてないと寒かったので、髪の毛って暖かいんだなって思いました。
── いざ、坊主の写真が世に出たとき、ご家族や友人の反応はいかがでしたか?
⦅井上さん⦆周りにはいっさい言ってなかったんですけど、「またやってくれたな…」って言われてました(笑)。あとは「え?どうしたの?」とか。どうしたのじゃないよねって。びっくりされたけど、もう出ちゃったものは出ちゃったので。
ファンの方たちは、男性ファンからは「いいね!」って褒めてくださる方も入れば、「なんで坊主だ!」って。「坊主じゃないときにヌードが見たかった」といった声もたくさん聞きました(笑)。女性のほうが、芸術的な感じで見てくださる方が多かったような気はします。
── お仕事の影響はありましたか?
⦅井上さん⦆いやぁ、ずっと仕事できなかったですね。写真集をヨーロッパで撮って、その広告とかポスターが出るまで、日本に帰国せずにしばらくヨーロッパに残ってました。ヨーロッパはスキンヘッドの女性も結構いたので、特に違和感を感じなかったです。
── ご自身で今、振り返ってあの姿を見てどう思いますか?
⦅井上さん⦆よかったです。すごく綺麗に撮ってもらったし、あのときあのタイミングで撮ってもらってよかったなって思います。
この記事を読んで、最近はTVなどでもあまりお見かけすることも少なかったのですが、お元気そうでよかったなぁと思いながら、あることを思い出していました。
僕は過去に一度だけ、井上さんにお会いしたことがあるのです。今日は僕の昔話にお付き合いください。
1991年16歳で芸能界入りされて、当時、テレビ朝日で放送されていた『桜っ子クラブ』というバラエティ番組のメインキャラクターだった女性アイドルグループ「桜っ子クラブさくら組」のメンバーの一人としてデビューされたんですよね。その後、数多くのドラマ、映画、CMに出演されていました。
僕は同性愛者ですから、こういう若い女の子がたくさん出ている番組はあまり興味がなかったですから、この頃の井上さんのことは詳しくは知らなかったんですけどね。
僕が故郷・神戸を出て、東京で一人暮らしを始めたのが1997年。阪神淡路大震災の翌年でした。
小さな広告デザイン会社に就職し、遅くまで仕事をがんばりながら、一人暮らしを楽しんでいた時、一人の男性に出会いました。
出会いはあるお店で彼が突然話しかけて来たんです。話をしていると、共通の知り合いがいることが分かり、時間を忘れ語り合い、終電も過ぎてしまったので、彼の部屋へ泊めてもらい、まぁ後はご想像にお任せします(笑)。
そこで、彼がヘアーメイクの仕事をフリーでしていることを聞き、僕も広告のデザインをしていたので、話が何となくあったんでしょうね。
彼は芸能界、僕は商業施設や百貨店などの流通業がクライアントで、ジャンルは違いましたが、何か心が通じるものが初めて会った時からあったんだと思います。
彼の名前は「横畠明(よこはたあきら)」と言います。ヘアーメイク業界でもそこそこ有名な人でした。「ヘアーメイクは彼じゃなきゃ嫌だ」と言ってくれるタレントさんや女優さんはたくさんいましたしね。
井上晴美さんもその一人でした。
ある時、井上さんからTBS系列で毎週日曜日のお昼に放送しているバラエティ番組『アッコにおまかせ!』にゲスト出演するのでメイクをして欲しいと依頼があったんです。
僕は当時、土日、祝日が休みで、休みの日は必ず彼の部屋へ泊まっていました。出会ってまだ日が浅かったし、ずっと一緒にいたかったんです。彼もそんなぼくの為に週末は仕事をしないと言ってくれていたのですが、親しいタレントさんの仕事は特別なことがない限り、断ったりはしませんでした。
番組は日曜日で生放送でしたから、僕は留守番をしなければいけない。一人になりたくなかったら、僕の荷物を運ぶアシスタントとして同行したら?と言われて、僕もTV局なんて滅多に入れるところじゃないし、留守番は寂しいし、ついていく事にしました。
その時、初めて楽屋で井上晴美さんにお会いしたのです。
TVで観ていた通りの方で、明るくて、屈託がなくて、物怖じしない、スタイルのいいカッコいい女性でした。
彼が「僕が今、付き合っている子」と僕のことを紹介してくれた時も、同性愛者に対しての偏見もなく、すごく優しく接してくれました。
僕は、同性愛者だということを、隠さずに堂々と仕事をしている彼にその時驚いたし、恥ずべき事じゃないんだと彼に教えられました。
仕事が終わって、井上さんが運転する車で、送ってもらったことも懐かしい思い出です。
井上さんが、スキンヘッドになったのは1999年でしたね。この時、彼女の髪を剃ったのが、横畠明です。上の写真で腕だけ写っているのが本人です。
井上さんがスキンヘッドにした理由は、当時、いろいろなことがあったんだろうと思います。井上さんは上のインタビューでは明るく答えていますけど、決断するまでには悩みに悩まれたんだろうと僕は思います。
撮影前日に、井上さんから彼に電話がかかって来たんです。井上さんはまだ若かったし、女性だし、髪を剃るという事に葛藤もあったのではないでしょうか。これは僕の勝手な想像でしかありませんが、二人は長い間、電話で話していましたし、彼が慰めたり、説得をしていた感じでしたから。
でも、撮影当日は全てを吹っ切った笑顔の井上さんがいました。その時、篠山紀信さん撮った『LIVE』という写真集も彼がメイクを担当しています。
以前、このblogで、彼が担当した真矢みきさんの写真集のことを書かせてもらいましたが、一人の芸能人の人生のターニングポイントになった仕事に彼はいくつも携わっていたんだなぁとあらためて今回も思ってしまいました。
そんな彼、横畠明が亡くなって今年で15年になります。
彼と出会ったのが1998年。亡くなったのが2008年。
彼と過ごした10年という月日は、嵐のように過ぎ去ったという感覚なんですけど、こんなことをblogに書くと、まだ彼に縛られてんじゃないの?忘れられないんじゃな〜いなんていう人もいますけど、そんなことはないんですよ〜。彼はもう思い出の中に生きている人ですから。
僕は、新しい出会いをいつも待っていますし、素敵なパートナーはいつでも募集しています!(笑)
今日は、どうでもいいような、僕の昔話に付き合っていただいてありがとうございました(笑)。