1980年10月5日に日本武道館で行われた山口百恵さんのファイナル・コンサート MOMOE FINAL 『THIS IS MY TRIAL』が、一夜限りの特集番組として「NHK BSプレミアム」で10月3日(土)、「BS4K」で10月5日(月)に放送されました。

 

今年は百恵さんが引退して40年ですから、それを記念しての放送だったのでしょうね。

 

NHKBSプレミアムは、5年前にもアナザーストーリーズ 運命の分岐点「山口百恵引退 覚悟のラストソング」という番組を放送してくれましたから、節目節目にこう言ったスペシャル番組を企画してくれるNHKさんには百恵さんファンとして嬉しく思っています。

 

このファイナル・コンサートは当日にTBSで久米宏さんの司会により、日本武道館から生中継され、1980年11月19日にCBSソニーより『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』というタイトルでビデオカセット(VHS・βII)でリリースされました。

 

最初に発売されたものは、かなりカットされていて、1984年にはLD・VHDでも発売になり、1991年には8mmテープも加わり、1993年にやっと完全オリジナル版が発売になります。

 

1999年にDVDで発売になりますが、この時はレコード会社による「謝肉祭」の発売自粛により同曲のみカットされての発売でした。

 

1997年、加藤登紀子さんのアルバムに収録された曲「影のジプシー」の曲名に対して差別的であるとの指摘があり、曲名を変更したんだそうです。

 

当時、加藤登紀子さんと百恵さんは同じレコード会社所属でしたので、「謝肉祭」の歌詞にジプシーという言葉があることから、レコード会社による自主規制により、「謝肉祭」は以降ベストアルバム等から外されるようになり、ライブ・ビデオからもカットされたということらしいです。

 

近年の日本においては、「ジプシー」は差別用語、放送禁止用語と見做され、「ロマ」と言い換えられる傾向にあるんです。

 

僕が最初に買ったのはライブ・アルバム『伝説から神話へ -BUDOKAN…AT LAST-』3枚組CDでしたが、それには「謝肉祭」は収録されていました。ノーカットです。

 

次に買ったDVDはカットされていましたね〜。

 

2006年に発売されたライブCD-BOX『MOMOE LIVE PREMIUM』には、完全版のDVDが収められていたので購入し、何度も繰り返し観ました〜。

 

2018年に、映像を色彩補正、音声をハイレゾ化した完璧版Blu-ray Discがソニー・ミュージックダイレクトから発売されました。

 

今回の放送はこのBlu-ray版の映像かもしれないですね。でもさすがに40年前のライブ映像ということで、完璧に修復されたと言っても鮮明さやシャープさは満足できるものではないですが、音声はいいですね〜。さすがはソニーさんです。

 

山口百恵 全国縦断ファイナルコンサート MOMOE FINAL 「THIS IS MY TRIAL」はこういう日程で行われました。

 

◎1980年9月30日 札幌市真駒内アイスアリーナ

◎1980年10月2日 福岡市九電記念体育館

◎1980年10月3日 大阪厚生年金会館

◎1980年10月4日 名古屋市民会館

◎1980年10月5日 日本武道館

プロデューサー: 佐々木国雄さん、小田信吾さん、音楽監督: 服部克久さん、演奏: ザ・ムスタッシュ (MOMOE BAND)

 

◉セットリストです。

1.「Overture」

2.「This is my trial(私の試練)」

3.「横須賀サンセット・サンライズ」

4.「I CAME FROM 横須賀」

5.「プレイバックPart1」

6.「プレイバックPart2」

7.「絶体絶命」

8.「イミテイション・ゴールド」

9.「愛の嵐」

10.「夢先案内人」

11.「謝肉祭」

12.「横須賀ストーリー」

13.「スター誕生」AGAIN」

 

14.「Medley」

◎ひと夏の経験

◎禁じられた遊び

◎冬の色

◎湖の決心

◎春風のいたずら

◎青い果実

◎としごろ

15.「ロックンロール・ウィドウ」

 

16.「いい日旅立ち」

17.「一恵」

18.「曼珠沙華」

19.「秋桜」

20.「イントロダクション・春」

21.「不死鳥伝説」

22.「歌い継がれてゆく歌のように」

 

23.「さよならの向う側」

24.「This is my trial」(instrumental)

 

百恵さんのライブ映像はこのファイナル・コンサートしか残されていないのですが、百恵さんにとって、デビュー7年目にして初の本格リサイタルと言われ、1979年10月に東京・帝国劇場で行われた『1980年代に向かって 山口百恵リサイタル —愛が詩にかわる時—』くらいは映像で残しておいて欲しかったです。

 

百恵さんは、大阪厚生年金会館での公演時に、三浦友和さんとの恋人宣言をしたそうなので、百恵さんの人生にとってとても大切なコンサートだったと思うので。

 

美空ひばりさんなんかは、たくさんのコンサート映像が残されていて、ソフト化もされているし、ひばりさんのファンの方々が羨ましいなぁと思います。

 

当時は、アイドル歌手のライブ映像が商売になるなんて音楽業界も思っていなかったんでしょうか?

 

1980年は引退直前の百恵さんにとって最後の「百恵ちゃんまつり」となり、武道館での引退コンサートと並んでもうひとつの引退公演とされたオリジナル・ミュージカル『不死鳥伝説』(新宿コマ劇場・1980年)も映像で残しておいて欲しかったですね。

 

百恵さんは、1980年10月5日に日本武道館で開催されたファイナルコンサートで、歌唱終了後、ファンに深々と一礼をし、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに去って行かれたので、これを最後に表舞台から姿を消されたと思っている方もいらっしゃると思いますが、違うんですよ〜(笑)。

 

あの伝説の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)での引退特集番組はファイナルコンサートの翌日である10月6日に生放送されたんです!

 

 

10月12日のお昼には、百恵さんの出身番組〈スター誕生!〉で特集番組「ハッピー・エンド・ザ・百恵」が放送。

 

現役歌手として最後のテレビ生番組出演は、10月13日放送の『山口百恵スペシャル ザ・ラスト・ソング』(日本テレビ、『NTV紅白歌のベストテン』の特別番組として放映)でした。

 

10月14日には、演出家、和田勉さんのインタヴュー映像をメインにした「NHK特集 百恵」の収録(11月17日放送)

 

正式な芸能活動の完全引退は、10月15日に行われたホリプロ20周年記念式典で、「いい日旅立ち」を歌われたのが歌手としての本当の最後のお仕事でした。

 

式典後、会場となったホテル内において、午後8時半過ぎに引退記者会見が開かれ、この会見はこの当日放送された『水曜スペシャル特番 山口百恵 今夜 旅立ち!』(テレビ朝日)で番組の終わりに一部生放送され、これが事実上芸能人として最後のテレビ生出演となったんだそうです。

 

ホリプロも働かせますね〜(笑)。

 

現役時代にはホリプロとの確執があり、百恵さんが引退前に書かれた『蒼い時』でも、社長の堀威夫さんと意見の相違により衝突もあったと触れられているので、引退するにあたり、会社側から色々な条件や要望を突きつけられたのでは?というのを感じますね〜。

 

堀威夫さんがインタビューで、百恵さんのことを語っている映像を観た事がありますが、どこか突き放したような冷めた感じを僕は受けた事があったのでそう思うのかもしれません。

 

百恵さんは、1980年、3月の結婚・引退を表明した時から、それまでにお世話になったテレビ局や映画会社、雑誌、CMのスポンサーなどに恩返しをするような形でスケジュールが埋まってゆき、殺人的な忙しさが始まるのです。

 

レコードは、アルバムが『春告鳥』、『メビウス・ゲーム』、2枚組でA、B、C面の3面という不規則な形の『不死鳥伝説』、最後のスタジオ・アルバム『This is my trial』、映画『古都』主題歌のレコーディング。

 

シングルも「しなやかに歌って」、「愛染橋」、「謝肉祭」、「ロックンロール・ウィドウ」、「さよならの向う側」、「一恵」の6タイトルを制作。

 

そのレコーディングもほかの仕事が終わった後の深夜に2時間ずつで、歌に関しては何としても1時間で1曲を録音しなければならないという過密スケジュールだったそうです。

 

そりゃあ声も枯れますよ〜。でもこのちょっとハスキーな感じが魅力的なんだと言う人もいますけどね。

 

レコーディングの最後が近づいてくると、スタジオのロビーやあちらこちらに、取材記者や関係者などが集まってきて落ち着かず、騒然とした雰囲気の中での制作で、百恵さんも大変だったろうと思います。

 

女優としても、『土曜ナナハン学園危機一髪 もうさみしくなんかないぞ』(5月3日放送・フジテレビ)、『花王名人劇場 さらわれたスーパースター』(10月19日放送・フジテレビ)、最後の赤シリーズ『赤い死線』(前・後編/11月7日、14日放送・TBS)、引退記念映画『古都』(市川崑監督・12月6日公開・東宝)などなどの撮影。

 

その合間を縫っての歌番組への出演(ザ・ベストテンや夜のヒットスタジオ 、NTV紅白歌のベストテンなどなど)

 

そして自叙伝『蒼い時』の執筆(執筆期間、約4ヶ月)。出版から40年も経っているのにまだ売れ続けているのです!

 

全てをやり遂げ、責任を果たし、仲間に惜しまれ、ファンの声援に包まれ、生涯を共に生きると決めた友和さんの胸へ飛び込んだ百恵さん。

 

あなたは本当に凄い人だったんですね。

 

14歳でデビューし、人気絶頂の21歳でその芸能活動に自ら幕を引き40年経った今も、日本歌謡史に燦然と輝き続ける山口百恵さん。

 

あなたのファンで本当に良かった。

 

宿命の言いなりにならず、運命を自ら切り開き、強い意思で望みを叶え、『永遠の愛』を手にした人。

 

僕は山口百恵さんのことをそう思っています。

 

今回、百恵さんの「ラスト・コンサート」の映像を久しぶりにそれもTV放送で観させてもらい、飾り気のない、シンプルな舞台セットの中で、誰に阿ることもなく、媚びることもなく、歌手として生きてきた全てをぶつけるように歌う百恵さんの神々しいことと言ったら!

 

楽曲の素晴らしさもありますが、21歳だからこその迸るような色気と美しさ…。「あぁ、これで歌をやめてしまうなんて…」と思わせる圧倒的な歌唱力に何度も胸を打たれます。

 

ちょっとした声質や表情の変化で歌に描かれたヒロインの心情を表現し、様々なキャラクターの置かれた状況を巧みに演じ分けられるのは優れたテクニックをお持ちなのでしょうが、そんなものを超越した歌を愛する百恵さんの心根の美しさが滲み出ているのでは?なんて感じてしまいます。

 

歌に対して真摯に向き合ってこられた集大成がこのラスト・コンサートなのではないでしょうか。

 

美空ひばりさんやちあきなおみさんにも通じる、歌を究めた歌手だけが持つ魂の奥から湧き出る歌唱力と輝きを百恵さんもお持ちだったと思います。

 

なにも恐れることはない…。私には歌と愛する人がいる…。腹を括った人間の強さを百恵さんから感じます。

 

21歳、絶頂期の中での完全引退…。

 

百恵さんは一人の女性として、自分らしい人生の選択をしただけです。それを貫いて生きてらっしゃいます。

 

『そして愛…愛が全て…あなたこの手を離さないで…死が二人を分かつまで、死が二人を分かつまで』

 

これはラスト・コンーサートで歌われた『イントロダクション・春』と言う名曲の最後の一節ですが、僕はこの曲を初めて聴いた時は心が震えました。

 

結婚・引退を決めた百恵さんに、こんな詩を書いた作詞家・阿木燿子さんは只者ではない(笑)と思いましたが、百恵さんはこの詩に深く共感されているのではないかなぁと勝手に思ってます(笑)。

 

僕も、百恵さんのように一つの愛を貫きたかった〜でも無理〜ぶれぶれですぅ〜(笑)。

 

なんちゅうまとめ方だ!(笑)。