こんにちは。

 

平成29年度(第72回)文化庁芸術祭協賛公演、新国立劇場開場20周年記念公演『トロイ戦争は起こらない』を友人に誘われて観てきたので今日はその感想を書いておきます。

 

観劇したのは10月6日、初日でした。

劇場は新国立劇場中劇場[PLAYHOUSE]です。

 

◎作:ジャン・ジロドゥ  

◎翻訳:岩切正一郎 さん

◎演出:栗山民也 さん

◎出演

エクトール・鈴木亮平さん

エレーヌ・一路真輝さん

アンドロマック・鈴木杏さん

オデュッセウス・谷田歩 さん

カッサンドル・江口のりこさん

パリス・川久保拓司さん

幾何学者・花王おさむさん

デモコス・大鷹明良さん

エキューブ・三田和代さん

 

作者のジャン・ジロドゥはフランスの小説家、劇作家であり、外務省の高官、情報局総裁まで務めた方で、僕の大好きな戯曲『オンディーヌ』の作者です。

 

第一次世界大戦に出征し、大戦終結後は外務省に復帰され、仕事の傍、小説を執筆されるようになり、1922年、小説『ジークフリートとリムーザン人』を出版し、バルザック賞を受賞します。

 

『ジークフリートとリムーザン人』は、日本ではジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『旅路の果て』、『舞踏会の手帖』などでお馴染みの名優ルイ・ジューヴェに戯曲(タイトルをジークフリートに変更)にすることを勧められ、1928年にルイ・ジューヴェ演出により舞台化、上演され成功を収めます。

 

ルイ・ジューヴェはシャンゼリゼ劇場内のコメディ・デ・シャンゼリゼに一座を構えていた演出家でもあったんですね。

 

以降、ジロドゥは、次々と戯曲を書き、殆どをジューヴェ一座が上演したんだそうです。

 

『トロイ戦争は起こらない(La guerre de Troie n'aura pas lieu)』はジューヴェ一座により1935年に初演されました。

 

日本での初演は1958年、浅利慶太さん演出、劇団四季での上演でした。

 

『トロイ戦争は起こらない』は、ホメーロスによって作られたと伝えられるギリシア最古の叙事詩『イーリアス』に描かれたトロイ戦争が起こる直前の1日を、第一次大戦に出征し負傷、身をもって戦争の悲惨さを体験したジロドゥが、ナチスドイツが台頭しはじめた1935年という時代と重ね合わせ、戦争とは、平和とは、民族とは、家族とはという普遍的な問題を鋭い眼差しで紡いだ物語です。

 

『トロイ戦争』を描いた作品はこの映画2本が有名ですね。

◎『トロイのヘレン(1955年)』 ロバート・ワイズ監督

◎『トロイ(2004年)』 ウォルフガング・ペーターゼン監督

 

『トロイ戦争は起こらない』ストーリーです。

永年にわたる戦争に終わりを告げ、ようやく平和が訪れたトロイの国。夫である、トロイの王子・エクトール(鈴木亮平さん)の帰りを待つアンドロマック(鈴木杏さん)。しかし、義妹のカッサンドル(江口のりこさん)は再び戦争が始まるという不吉な予言をします。

 

一方、エクトールとカッサンドルの弟・パリス(川久保拓司さん)は、ギリシャ王妃・絶世の美女エレーヌ(一路真輝さん)の虜となり、戦争の混乱に紛れてギリシャから彼女を誘拐してしまいます。妻を奪われ、名誉を汚されたギリシャ国王・メネラスは激怒し、「エレーヌを返すか、われわれギリシャ連合軍と戦うか」とトロイに迫ります。しかし、彼らの父であるトロイ王・プリアムやその取り巻きたちは、たとえ再び戦争を起こしてでもエレーヌを返すまいとするのでした。

 

幾度にもわたる戦場での生活に、戦争の虚しさを感じていたエクトールは、平和を維持するためにエレーヌを返そうと説得しますが、誰も耳を貸そうとはしません。

 

とうとう、エレーヌ引渡し交渉の最後の使者・ギリシャの知将オデュッセウス(谷田歩さん)がやってきます。果たして戦争の門を閉じることはできるのか。あるいは、トロイ戦争は起こってしまうのでしょうか…。

 

フランス演劇の際だった特徴は、文学戯曲重視の傾向にあると言われています。「ことばの演劇」、「詩的演劇」と呼ばれているようなので、作者の書いた言葉(セリフ)が重要視されるということなのでしょうか…。

 

この『トロイ戦争は起こらない』も素晴らしいセリフがたくさんありましたね〜。

 

ギリシャ悲劇の枠組みを使い、すぐそこに迫り来る戦争(第二次大戦)の脅威をジャン・ジロドゥは繊細さの中にも力強く鋭い言葉で表現しています。

 

戦争は再び起こるのだろうか?

いや、起こるはずがない。

そう、絶対起こしてはならないのだ!

 

というジャン・ジロドゥの切実な願いのような、祈りのような想いが溢れた戯曲のような気がします。

 

鈴木亮平さん演じるエクトールが語る、戦没者への追悼の言葉は、ジャン・ジロドゥ自身の心の叫びのように聞こえました。

 

ジャン・ジロドゥはこう言っています。

「言葉こそがフランス人の魂を開く鍵であり、観客の悩みや葛藤の意味を明らかにしてくれるよう対話の力こそが演劇の強みなのだ」と。

 

こういうフランス演劇を代表するような舞台を観ると、ジャン・ジロドゥが言う「言葉こそが魂を開く鍵」と言う意味がよく分かります。

 

やはり、演劇って言葉(セリフ)なんですよね〜。

僕は今回、この舞台を観て、僕の魂を開いてくれる鍵に出会えたかと聞かれたら、首を横に振るしかありません。残念です(泣)。

 

僕の勝手な言い分なので、気にしないで欲しいのですが、演出にちょっと疑問を感じるところが色々とあったんです。

 

巨大で不気味な運命に、抗っても、突き飛ばされ、翻弄され、絶望という坂道を自ら転がり落ちてゆく、愚かな人々の悲しみみたいなものが僕にはほとんど感じられませんでした。

 

いいシーンはたくさんあるのに、なんとなく漫然と物語が進んでゆく感じ…。

 

初日だったからでしょうか。役者さんたちのセリフがまだ自分のものになっていないと言いますか…。

 

演出の栗山さんは、「ジロドゥの台詞や描写は現代劇のテンポで書かれており、発語も動きも時代がかった、たっぷりの間で表現していては作家の意図から乖離してしまうだろう」とおっしゃっていますが、果たしてそうなのでしょうか?

 

テンポは大事だと思いますが、演劇ってやはり、発声、台詞回し、滑舌が大事なんじゃないですか?

 

映像の仕事が主で、まだ舞台経験も少ない俳優さんの発声では、観客の胸を打つことは難しいんじゃないでしょうか。

 

ジロドゥが書いた、美しい台詞に酔わせてもらいたかったです(笑)。

 

エクトールとオデュッセウスの丁々発止のやり取りのシーンも、ただ二人が向かい合って、セリフを言い合っているだけで、もう少しドラマチックな演出はできなかったのでしょうか〜。

 

その中でも三田和代さんはやはり素晴らしかったです。積み上げていらした女優としてのキャリアの重み。役に対する理解の深さ。舞台に登場するだけで劇場全体を濃密な空気に包んでしまう存在感。舞台女優とはこうでなくてはという見本です。

 

演出の栗山さんはこうも言っています。

「衣装や装飾にも、ギリシャ劇特有の重々しいローブなど時代感のあるものを用いるつもりはない。必要なのは重厚な剣ではなく、すぐさま相手の喉元に突きつけられる切っ先鋭いナイフ。戦場も古代のそれではなく、第三次世界大戦前夜とでもいうべき、今この瞬間にも砲弾が乱れ飛ぶ、私たちの生活とも地続きな何処かだ。そんなイメージが、作品全体のトーンとして漂っている」と。

 

おっしゃることもわかるのですが…。

僕には違和感があったんですよ〜。分かり易すぎる解釈のような気がして。ジロドゥが作品の奥に潜ませているものをあからさまにしているようでね。

 

隠し事をせず、嘘をつかず、相手の意見を否定せず、尊重し、心を開き、お互いを理解しあい、弱さを認め合うことができれば、人と人は繋がることかでき、争うこともなくなるんだろうなあなんて思いますが、いうは易し、それができてれば戦争なんて起こりはしないのでしょうね。

 

戦争は、時の権力者によって、自由を奪われ、愛する者と引き裂かれ、心も体も傷つき、命さえ理不尽に奪われてしまうものなのに、どうして世界からなくならないのでしょうか。虚しいですね。

 

戦争は人間が始めるものであるけれど、終わらせることができるのも人間しかいないのに。

 

ジロドゥの祈りはまだまだ叶いそうにないですね。

だからこそ、時代は変われど、上演し続ける価値のある作品だと思います。

 

若い俳優さんたちが、こういう戯曲に果敢に挑戦することは大切だと思います。あれこれ言いましたが、これからも頑張ってもらいたいです。

 

なんか、えらそーですいません(笑)。